漫画の後に本文が続きます。
評価されなかった
私は私の能力を最初から信じていたけれども、全然評価されなかったのが、一社目だったと思います。四半期の人事評価のとき、ABCDで表すといつも得られるのはCなどぱっとしない結果だったと思います。負けず嫌いで自分の能力を信じていたのに、どういうわけかその日々、Cという評価に心から納得していました。きっと心の奥で、ここは自分が咲ける土壌ではないと理解していたからかもしれません。
キャリアアップしたい
評価されなかった時代、わたしはたしかにキャリアアップしたいという願いを持っていたと思います。わたしはそのことを今まですっかり忘れていましたが、私が恐れた穴という作品に届いたコメントによって思い出したのです。(そのコメントはきっとご自身のキャリアを思い返されて「最終的にキャリアアップした自分を褒めてあげたい」という内容を書いていただいていたとおもいます。)
今となっては自分の中に「キャリアアップしたい」という願いは見事に消えてしまったのでそのコメントに考えの照準を合わすことができず、長い間考え込んでいた中で、たしかにこういう願いを過去にもっていたということを思い出したのです。
自分の能力を人に認めてもらいたい
今となっては、よくわかるのです。自分がなぜ、「キャリアアップしたい」と思っていたのか。わたしの当時のキャリアアップしたいという願いの解像度をあげると、「自分の能力を正当に他人に認めてもらいたい」という欲求だったと思うのです。それを的確に簡単に言い表す言葉がなかったから「自分はキャリアアップしたいのだ」と思っていたのだと思います。
漫画の中では三番目の会社で、自分の能力を正当に評価してもらえました。そして高めてもらえました。そして私の価値に感謝してもらえました。それはわたしにとっての初めての経験だったと思います。
そこから私は、アップしたいともダウンしたいとも思わず、ただの自分でいつづけることを主体的に選べるようになりました。その効果は長きに渡って続いていて、私はその会社を去ったあと、今にいたるまで淡々と働いています。アップからもダウンからも遠い場所にいると感じます。(わたしが働き続けたい理由という作品にその感覚を描写しました。)
私は、自分の価値は自分で認めるべきだという考えを持っています。他人の評価はあてにしないという信条があります。しかし、こんなわたしですら、他者からの腑に落ちる評価がなかったら、いつまでもあのままキャリアアップしたいと思い続けていたのではないか、と考えます。
今の私がなんとなくもっている、まぁどんな場所でもなんとか稼いで生きていけるだろうという、極度の楽観思考とも自信ともつかないこの感覚は、結局自分の力で得たものではなく、あのときの他者からの心底納得いく評価からきているのかもしれないと思い至るとき、自分のことをとても心許ない存在であるように思うのです。
自信は他者からの承認によって育てる。しかし自己肯定感はDIYできる。これが私の立場だから、自己肯定感を育むことにも他者からの承認が必要という立場の人には違和感を与えるだろうな、と。
— あぴママ (@apimamabiyori) December 17, 2020
このツイートでいうと、自信を他者からの評価によって育てたということになるのだと思います。