ここ1年はあまり本を読むことはなかったのですけれど、最近また、むさぼるように本を読んでいます。
もともと本を読むのは好きで、一番読んでいたのは、小学生から中学生にかけて。次に本を読むようになったのは、大学生の頃、そして社会人になってからはぼちぼちでしたが、あぴちゃんが3~5歳の頃に限っては、たぶん年間100冊以上読んでいました。(多読ってあんまり意味ないなと思っているのはこのときの経験がもとになっています。)
年間数百冊とか逆にダメ⁉︎月に1冊で最大限に効果を得る読書法(Voicy)
聖書など、通読して理解をしていきたいなという本はたまに開きつつ、もう普通の本はいいかなと思っていたところになんでまた読書を始めたのかというと、生活がきつくなってきたからです。
生活がきつくなってくると、本を読み始めます。無意識に、落としどころを探っているのだと思います。目の前のこの現実への落としどころを。
ちょうど今は、ヘンリー・デービッド・ソローの「森の生活」の日本語訳と原書をくらべくらべ読みながら楽しんでいます。英語の勉強とかそういう意味ではなく、単純に、目の前の日本語訳が、元は英語でどのように表現されていたのか知りたいというか、そんな気持ちで読んでいます。
こういうことが好きでちょくちょくこんなことをやってるんですけど、翻訳がうまくなるというわけではありませんし、今後、英語を使うあてもありません。
なんか好きでやっちゃうんですよ。本当に意味がないんだろうけど、こういう時間をそぎ落とすべきじゃないなと感じています。
今日は読書日記です。 ヘンリー・デイビッド・ソローの「森の生活」は、イケてるアメリカ人はみんな読んでる本だと、そのように認識しておりましたけれど、6月から読み始めました。 読み始めたところ、最初、下記写真でいう左の文庫本を取り寄せましたら、[…]