子の嫌味に応戦しない│あぴママびより
嫌味に応戦しないというわざ
ママ悪い夢みて何回も起きちゃった。
言葉の学習もとが広くなり、親の言わない類の嫌味も言うようになるのが小学校高学年の子ども。
応戦すると本人は嫌味の威力に無自覚なので、ママが急に意地悪を言ってきたと思い反発心を煽るだけ
ママに嫌みを言い続けるとあぴちゃんを可愛いと思う気持ちがなくなっちゃうよ
あぴちゃんはそれは嫌でしょう
長期的損を提示することに徹する。それがもっとも伝わりやすいメッセージ
長期的損を提示して行動を改善させる。
いろんなわざを使って楽しくのりきる育児

他者が悪夢にうなされたというランダムな不幸に対して「日頃の行いが悪いから」と非科学的意味付けを押しつけるというのはなかなかの問題発言です。

ここまで劣悪度の高い発言には、かならず本人にむしゃくしゃしている何かがあります。この件の場合、前夜にあぴちゃんが就寝時間を過ぎてふざけていたことを叱責したことを根に持っているのだなということが瞬時にわかりました。

そうであってもこの発言は問題です。できるだけ再現させないようにしたいもの。ママをここまで不快にさせると本人はどんな損失を被るかを説明することです。

なかには、親の愛というのは無限かつ無償供給されるべきものであり、どれだけ嫌味を言われても無限供給システムに言及されるべきではない、と考える方もいらっしゃるのではないかなとは思いますが、夫婦間の愛情も親子間の愛情もそれを健全に存続させるためには、双方に対する基本的リスペクトは欠かせないものと私は考えています。

だから私はこのように、日頃もあぴちゃんに「相手をリスペクトする」ということについて話をします。もちろん、子は親をリスペクトするべきと考えているわけではありません。親も子をリスペクトするべきです。対等なものだからです。

子どもには、試行錯誤のうえ、いい塩梅の嫌味で気持ちを発散してほしいものです。要は嫌味の中にも人を傷つけずに自分の気持ちの骨子を表現する流儀があるはず。そこにたどりつくまでにはたまに地雷を踏むのもよし。「がんばれあぴちゃん!」という感じです。

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子の不機嫌に応戦しない

 

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