言わない育児は子どもを信じる育児と、前に書いたことがあります。
あぴちゃんの場合は言わないことを選ぶととてもうまくいくことが多いです。健康によくなさそうな習慣をつづけているときもほっとけばいつのまにかやめている。お友達とのトラブルも極限までほっとけばいつのまにかとても良き方向に改善している。あぴちゃんを100%信じているから言わないわけではありません。
その証拠に、結果的に良き方向にものごとが進むたびに、いつも意外な思いでいっぱいだからです。毎回のように、「なぜほっといたのに、いい方向にすすんでいるのだろう」と意外に思うのです。私は性善説というものを根っからは信じていないのかもしれません。
おそらくあぴちゃんの心の中のコアなところに、あぴちゃんの最終的な行動を導く部分があって、あぴちゃんはそれにしたがって行動をしているのかもしれない。でもそのコアな部分は誰がどのように教え、育てたのでしょう。私には、それを育てた覚えがないので、とてもふしぎな思いでいっぱいです。
でも現在の行動を見る限り、それは現在進行形で育てられたものではなく、小さな頃に育てられた部分であることに間違いはないと思います。小さき頃にどのような人に囲まれてどのような思想を元に育つか。これはとても重要なものであるという実感があります。改めて、幼少の頃からあぴちゃんに関わってくれた善き人たちへの感謝の思いでいっぱいです。