疎外感。ほんとうに自分を理解している人はいない、という感覚。応援してくれる人がいない、という感覚。いっしょに過ごす人はいるけれど、彼らは私を理解してくれない、という感覚。
すべての生きづらさは、ひとりである感覚、つまり少数派であるという感覚からきているのではないか。そんなことを最近よく思います。
今回の人生相談は吃音に悩んでいる方からの生きづらいという相談がテーマですが、吃音に悩んでいるというその個別事情は尊重しつつ、これは少数派として生きる方全般に共通する悩みだな、と個人的には思いました。
今少数派である。少数派であるという自覚はなくともとにかく生きづらい。
状況は改善しないことが見込まれる。
じゃあ、どういうマインドで生きていけば、少しでも楽になれるか。そんなことを考えつつ相談文章に回答していきます。
こんにちは。
いつもあぴママのコンテンツを楽しませていただいてます。様々な場面で生きるのがどんどん楽になってきていると感じ、感謝しています(^^)
私の相談は自身の吃音(どもり)についてです。
物心ついた時から吃音の症状があり、大人になっても治ることはありませんでした。
小学生の頃は発表や音読でどもり、クラスの友達にも笑われたり、少しやんちゃな男の子にはからかわれたり、吃音が嫌で嫌でしょうがなかった気持ちを鮮明に覚えています。
家庭の事情で通うことをやめましたが、低学年の頃は話し方教室に通っていたり、父親からは夏休みに毎日早口言葉の本を1時間音読することを命じられたり。私も治したいと強く思っていたものの、自分のことが恥ずかしくて、情けなくて…「吃音=悪いもの」と思ってしまうのです。
大人になった今でも吃音はあります。
情けない気持ちになりながらも、気合いで自己紹介も発表も面接も電話対応も乗り越えてきました。
でも日常生活においても、子どもの保育園に欠席等の連絡の電話をしたり、自己紹介をしたり(名字も言いづらいです)、話したいことも吃りそうだと感じると引っ込めてしまったり。とにかくストレスが多いです。
吃音さえなければどんなに楽に生きられるか、と本気で思ってしまうのです。喋ることを避けられない場面で盛大にどもったりした後には、自分のことが情けなくて結構落ち込んでしまいます。
吃音とうまく共存できず、また吃音を隠そう隠そうという意識が強く苦しいです。今まで誰にも相談できませんでした(;_;) 性格は割りと明るい方なので、周りにはあまり悩んでると思われてないみたいです…笑
今の仕事はデータ入力(電話応対なし)で、コロナがキッカケで完全に在宅勤務になり、勤怠もシステムで申請や管理ができるので、滅多に話すことはなく、仕事でのストレスは減りました。
仕事を選ぶ際の基準も電話応対をしなくていい仕事をメインに探しました。ちなみに面接で吃音のことを話したことはありません。
ですが本当はもっともっと人と関わる仕事がしたいです。
このままのマインドでは、本当の意味で自分の人生を生きれなくて後悔するのではないかと感じています。
私は割りと軽度の吃音なのか、スラスラ話せる時もあります。でもどもるときは盛大にどもったり、最悪言葉が出ません。電話だと高確率でどもります。無言電話と勘違いされることもしばしば…
色んな本を読んだり、克服したという人の矯正の方法教えます!みたいな何万もする様々な教材を試したりしましたが、どれも効果はなく。。本には治らないと書いていたことから半ば諦めています。
治せたら一番嬉しいのですが、おそらく今後も吃音と生きていく私は、どのようなマインドで生きたら楽になるでしょうか。
電話や自己紹介など、避けられない場面での立ち振舞い方などもどうした方ができるだけスマートにやりすごせるか。。なにかもし良い案があれば、あぴママの発想で助けていただきたいです。厚かましくて申し訳ないです(;_;)
子どもに遺伝しないかも心配で心配で…。(遺伝の要素もあるらしいです)
遺伝したとしても今の私では、なんのアドバイスもしてやれません。
周りにはポジティブとか活発、営業の仕事とか向いてそう♪などといわれますが、吃音のことになるとクヨクヨしてしまう私です。
拙い文章ですが、あぴママの考えを聞かせていただきたいです。よろしくお願いいたします。
課題を以下の2文にしぼって、わたしの思ったことを書いていこうと思います。
「吃音とうまく共存できず、また吃音を隠そう隠そうという意識が強く苦しいです。いままで誰にも相談できませんでした。」
「治せたら一番嬉しいのですが、おそらく今後も吃音と生きていく私は、どのようなマインドで生きたら楽になるでしょうか。」
相談者の悩みについてわたしが思ったことを素直に書いていきます。また、わたしならどうするか?という点にからめ、他者をある程度意図的に操り、自分に都合のよい場所を形成するアプローチについても触れていきたいと思います。
(少なくとも第一章は文中の吃音を不登校や性的少数者、障がい者等、少数派を形容する他のことばで読み替えてもまったく意味は通じるように書いてあります。)