社会は厳しいのだから、適応できるように厳しく育てる。それでいいの?│あぴママびより
厳しい社会に適応させるために厳しく育てる。

社会は厳しいのだから、適応できるように厳しく育てる。それでいいの?

本日はVoicyをご紹介するための漫画です。先日の下記の漫画を途中まで読んだ方のあいだで、ちょっとだけ論争が発生しまして、Voicyではそのことを取り上げたのです。

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普通の人生というのはすでに無理ゲーなんだという話をさせてくれ。

論争とは「ゆるい環境で育てるのがいいのか。それとも小学校以降の厳しい世界をある程度見越して、きびしめの環境を用意してあげる優しさをとるのか」、こういうものです。

自分としては当然前者です。Voicyでもそのように持論を展開しました。

この漫画の内容は、個を尊重する環境にて縛られずにのびのび育った子供たちからみた今の公的教育の在り方についてであった。
あぴちゃんと真逆の園に子どもを通わせました。小学校に行っても子どもたちが困らないように、が園長先生のモットーで
そこで三年間過ごした子どもたち。そんな子供たちには小学校はゆるく映ったようで解き放たれました。
もしあぴちゃんがこんな環境で育ったらどんな子になったかな。
先生の言うことは正解。従うのが当然。ルールと言われたらそれはルール。個人の在り方より集団の益。無垢なまなざしで大きなモノサシを振りかざす子になっていたかもしれない。
なんでこんなふうに想像するのかというと私自身がそういう幼稚園で育ち、そこからもあるときまでは適応の模範生として生きてきたからである。

今日のVoicyもぶいぶい言わせております。

【育児】個々人の凄い力と可能性。尊重される世界の方を信じさせたい。できるだけ心が柔らかいうちに。

いちばん心と頭がやわらかい最初のむちにどういう世界を信じるのか。それが大切なんじゃないかなぁ、なんて思います。

わたしの人生はとても遠回りでしたから、わたしのような遠回りをしてほしくないという気持ちもあります。

子どもの社会での適応を心配して、家庭や園でも厳しい環境を用意してやるのは、子どもの適応力を信じていないことの裏返しだと私は思っておりますが、そこを起点に、持論を展開しております。プレミアムリスナーさんは、Voicyもぜひ聞いていただけると嬉しいです。

(いつもより良い勢いで、いいねがついておりまして、すでに聴いていただいた皆様本当にありがとうございます。いつもそんなにはつかないので、なんだか恐縮です)

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