小学四年生ともなると、だいぶ大人の考えていることを理解し始めます。そして虫歯にならないようにすることの大切さ、生活習慣を整えることの重要性、しっかり理解できるようになってきます。しかし完璧ではありません、もちろん。
大人より自分を律する心は弱いですし、眠たかったりするとなおさらその傾向は強まります。眠たい時、それは子どもがより子どもに戻る瞬間です。その一瞬だけを切り取って子どもの気持ちになってみれば、「やりたいことをやらせてもらえない。私はなにも悪くないのに。悲しい。」こういうところです。小学四年生ですら、このような気持ちなのですから、それより小さかったらなおさらそうですね。
要は、大人とその一瞬において利害関係が真っ向からぶつかり合っているのです。大人には理由がある。しかしだからといって、大人の言い分を通して良いのか。あくまでその一瞬において子どもに対してフェアかつ誠実であろうとすればするほど、私たちが自分の意見を押し通す道義は揺らぎます。
ここで大人の言い分を通すのももちろんありです。一般的にはそうする人が多いのかもしれない。だけど、そうであっても子どもの気持ちは想像してやりたいです。逆に言えば、その想像ができれば、あまりイライラすることはありません。ただ「ああ、利害関係がぶつかりあっている、残念だなぁ。」こんな気持ちです。
漫画に描いたとおり、私は折れることが多いです。いつか別記事でやりたいと思いますが、自立とは「個がいかにコントロールされなかったかという歴史」だと思っています。泣くほどやりたくないと思っていることは強制せずに、無用にコントロールしたという歴史を増やしたくない。子どもには、眠くない時など理性がちなときはいくらでもありますから、そういうときに、歯磨きなどの自立的な習慣を自分からやるように促す。これがベストだと思っています。これがわたしの戦略的寛容さです。かっこつけた言葉をあててみましたが、人によっては、しっかりしつけできない親と思うかもしれない。それでもいいのです。