人の誇りはどこからくるの?│あぴママびより

人の誇りはどこからくるの?

ママの連絡ミスで行きたかった練習にいけなかったあぴちゃん
落ち込んで少し寝込んだあぴちゃん
気持ちはわかるんだけど気をそらしたら?
この人私を責めないの。
ちがうよ。間違っちゃった人を責めても無駄だからだよ
人の過ちを見過ごすことができたとき、人はまた自分のことを好きになれる

誇りはどこからくるの?

みなさんはいままでどんなときに自分に誇りをもつことができましたか?私は、仕事をとおして自分のパフォーマンスがよいと感じた時に自分の力に誇りを持ったことがあります。他人から能力を褒められた時にも誇りを持ったことがあります。

でもそれらはどちらも、他人と自分を比較した上でちょっとばかり自分が優れていることをとても嬉しく思い、誇っただけです。よくよく考えてみると、いつか自分よりもっと優れた他人が現れたらガラリと音を立てて崩れ去っていく類の、もろく、そして安い誇りです。(私の友人には、私と同じ方法で誇りを手に入れて、自分より劣った人しか見ない徹底した視点を身につけて誇りを半永久的に保っている人もいます。その誇りはたしかに半永久的だろうと認めますが、少しばかり安い誇りであることにはちがいありません。)

安くない誇りが生まれるとき

誇りの中には、決して安くなく、誰かと比較することなしに生まれる誇りもあると思います。自分で自分のおこないを認めてそして自分のことを悪くないな、と思える誇り。漫画の中であぴちゃんが見つけたのはそういう誇りにちがいありません。

あぴちゃんが見つけた誇りは誰だって手に入れるのが簡単なはずです。一瞬一瞬、何を選び取るか。致命的なミスをおかした人を責めるか。スルーするか。もやもやとした自分の心を人を責めることで発散するか、それとも他の方法を探るか。自分が後に誇りを持てる選択肢を選べば良いだけの話ですから。

理論上は簡単なはずですが、私にはまだまだ誇り高き人生は遠いな…と書きながら思いました。