愛情深い母親をめぐる思考│あぴママびより
子を個として尊重する

愛情深い母親をめぐる思考

愛情深い母親といわれるたびに違和感を感じる
決して愛情深い母親ではないから
愛情深いといわれることに驚いている私
ただ私は徹底して子を個として重んじてきた
もしかしたら愛とはこれ以上ないほどに個を重んじることなのか

人間たまに我を失いますよね。二つ例示すると、

  • 親の健康が心配でたまらない人。
  • 恋愛中の相手の動向が気になって仕方がない人。

それらは相手を心配しているように見えて、すべて自分の問題であるように思えます。

親の健康が心配で自分のことに手がつかないほどの人はもしかしたら親を失ったときに自分の実存が問われるから、親を失えない。だからこそ心配でたまらなくなるのかもしれません。簡単にいうと、親なしでは平静に生きていけない自分に問題があると思います。

恋愛中の相手の動向が気になって仕方ない人はもしかしたら、その相手なしには自分は楽しく生きていけないと思っているからこそその人を失えない。だからこそ気になって仕方なくなるのかもしれません。簡単にいうと、その人なしには楽しく生きていけない自分に問題があると思います。

同様に、親が子から究極的に自立していたら、子に過度に干渉したり、子の意思決定のプロセスに入り込むということはないのではないかな、というのが私の基本的な考えです。子が親にとって正しい選択をしないことが気が気ではない。それは、正しい選択をしない子と歩むことができない自分の側に問題がある。ということです。

私も子に不当に介入してしまうことがあります。そのときにおこなった自省をもとにこの文章を書きました。

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