あぴちゃんが生まれて産休をとったとき、わたしはとても焦っていたことを覚えています。
一円も稼がなくなってしまった自分の状態に、誰かの役に立っているとも思えない自分に焦ったのです。
そりゃ、目の前の赤ん坊の役には立ってるだろうけれど、それは、わたしがいちばんしたいこととは違うような気がしていました。
もちろん赤ん坊はかわいいし、かけがえもない。だけどわたしは、子どもではなく、大人の誰かの役に立ちたかったのです。感謝されたり、対価を得ることで、みんなの一員であることを実感したくてたまらなかったのです。
そういう気持ちが生じることこそが、この社会の立派な一員であるということを示していると思います。われわれは、そのような気持ちになるように、教育されてきたし、育ってきたのだと思います。
今では、わたしは、社会の立派な一員ではなくなってしまったようです。大変残念です…。
社会のレールの上にのってるだけじゃ、自立できないことを知ってしまったからです。
《本記事は、かなりとがってるため、Dx本音会員様限定です。毒しかないから。でもこれが経営者側から見た真実です。》 つい最近、久しぶりにインスタグラムをダウンロードしまして、さまざまなアカウントの表現を見させていただく機会があり[…]
今のわたしは社会を、子育てや生活の大事な時間を削ってまで参画するほどに、リターンがある場所とは思っていないんですね。
育児や生活を極限まで外注するようなバリバリの生活を送って、ずいぶん年上の男性より多くのお金をもらえるようになったこともあったけれど、わたしはそれをリターンととらえられませんでした。
むしろこれは搾取を受けているのと一緒だし、ロスだとも思い、逆に焦るようになりました。
自分は、生活を損なわない形で、生きるすべを見つけるべきだと考えました。そして、今があります。
わたしは、「生産性のない時間は無駄だ」という価値観に反旗を翻します。われわれは、そこに反旗を翻した状態で、成功するべきだと思っています。
それがすべてを得る生き方です。なにも取りこぼさない生き方です。
価値観から変えていきましょう。
漫画を読んでください。