世間がお盆休みに入る前に投稿したこちらの漫画ですが、質問がきたので回答します。
こちらが相手に起こしてほしい行動を相手に「おこなう」と宣言させるような質問を設計すること。 仕事ももちろんそうですが、これができると育児の場合でも有効にはたらくことが多いです。[…]
こちらの漫画では、「命令」という安易な方法を使わずに他者に簡単に動いてもらう方法を取り上げました。漫画で例として取り上げた関係性は、子どもを自分の意図どおりに動かしたい親とその子です。
大変ありがたいことにこの漫画にはたくさんの反響がありました。自身の親子関係にあてはめ、具体的にこのスキルをどう使うか想像してくださった方も多数いらっしゃったようです。なかにはとても具体的な質問をくださった方もいらっしゃいました。
今回の投稿では、その中のひとつの質問をとりあげ、私の考えを補足的に文章にしていきたいと思います。取り上げる質問はこれです。
宣言させても、その時間がきたらごねる子には、どうすればいいでしょう?
漫画の中で私は、「8時半にお風呂にはいりなさいよ!」という命令ではなく、「9時までに寝なければならないけど何時からお風呂にはいる?」と問いかけることで「8時半」と宣言させることを提案しました。それに対して、宣言させてもなお、行動にうつそうとしない我が子にどう対処すればよいのかという質問です。
結論から述べます。(不要かと思いつつおことわりしておきますがこれはあぴママの私見です。あぴママは素人であり子育てのプロではありません。子育てのプロというのは存在しないと思います。)
いったん子どもが自分で「8時半」と宣言したのであれば、物理的に風呂場まで追い立ててもよいと思います。(後ろから走って追い立てたら風呂場に向かうんじゃないでしょうか)昔の言葉でいうと、強制的に有言実行させるということです。
子どもが宣言してもいないし、そもそも意思もない。必要性も理解していないのに風呂場まで追い立てたら、子どもとの今後の信頼関係が危ぶまれると思います。
言い換えると、子どもの意思に反したことを脅しの力もしくは腕の力で強制することは、あなた自身の手によりあなた自身の言葉の力を貶めることを意味するということです。こういうことを繰り返したら、子どもにとってのあなたの言葉の価値は下がる一方であり、ますます脅しの力や腕の力を使わなければ子どもを動かすことが困難になっていくだろうと思います。
しかし、子どもが入浴の必要性を理解し、「8時半に風呂にはいる」と宣言した場合はどうでしょう。そこに子どもの意思があるのです。あるから宣言したのです。その宣言に一貫する行動を伴わせること、すなわち、風呂場まで追い立てることは強制ではありません。教育です。
なぜそれが教育になるのか。それは「言葉に一貫した行動をとること」が社会で評価されるからです。通常、人間社会では、「やる」と言ったことをやらないことを繰り返す人は信用を失っていきます。反対に、言行が一致する人というのは少しずつ目に見えない信頼を得ていきますよね。
教育のひとつのゴールが社会に適応して生きていけるようにしてやるというものであれば、言行一致に導いてやるのは親による立派な教育だと思います。けっして強制ではありません。
あぴちゃんはよく「動画は8時半に観るのを終える」と言って、平気で8時半をすぎても観ています。彼女はなかばわたしをからかうためにそうするのです。わたしはゴリラのようにあぴちゃんに向かっていって羽交い締めにして動画を観るのをやめさせます。もちろん彼女はそれを想定しているわけで、ケラケラ笑っております。楽しい親子の茶番ですね。
注意ですが、基本的生活習慣など子ども自身がその重要性を理解しているものに関しては言行一致を求めてもいいと思います。しかし、そうでないことにたいしても言行一致を過度に求めすぎるのはよくないと思います。
「このあいだはこう言っちゃったけど、やっぱりこれをすることにする!」と子どもらしい無邪気な鞍替えも、影響を受ける人への配慮もしつつ柔軟に行えるような余白は残しておいてあげられるように、親自身も柔軟に、求めたり許したりしていきたいものだなと思います。