わたしの料理観│あぴママびより
あぴママの料理観

わたしの料理観

あぴちゃんはママの料理が苦手である。ヘルシオで蒸しただけの野菜や肉を出すママだからそれも納得。
ママの料理はふつうじゃないのよ。ふつうは鍋で味付けするのよ。
味ついてるじゃん。はい、ドレッシング。
そうじゃないのよ。ふつうは料理に名前がついているのよ。
名前つければいいじゃない。
そうじゃないのよ!名前つければ美味しくなるというわけではないでしょ!
とこのような漫画を一年半前にかいたら非難殺到。
わたしは毎日子どもに蒸し野菜を食べさせているとは一言も書いていない。その頃は夫がご飯を毎日つくっていたが、おそらくわたしが女だったからそして母親だったから毎日作っているのだろうと勘違いされた。
母イコール毎日子どもにご飯を食べさせるべきで、毎日蒸し野菜を食べさせるのは毒親である。人々の無意識下にあるバイアスは根深い。

これは過去いちばんに非難コメントをいただいた漫画です。たとえばわたしが近所に住むおばさんであったなら面と向かって言わないのであろう暴言コメントをSNSを使って見ず知らずの人間に送りつける行為。これの問題点についてなにか述べることは、誰か他の方にまかせます。

この投稿ではこの漫画によってなにかしらの「いやな気分」を誘発される人の心理についてちょっと考えてみたいと思います。

この嫌な気分ってたとえば以下のようなところからくるんじゃないかな、などと思います。

  1. 毎日栄養たっぷりのご飯を作っているのはそれが子の成長にとって必要だからということを信じているのに、そうせずにのうのうと生きている人の存在によって自分が信じている事実が脅かされるのが嫌だ
  2. 毎日ごはんをつくって苦労しているのに楽をしている人の存在が許せない

純粋に漫画内で描写されている子どもがかわいそうだから、などと動機をもってくる人もいるでしょうが、だいたい深層心理に隠れているのは①の動機が関の山じゃないかな、と思います。

そこで問題になるのが、この各人が信じている「信条」ですね。この信条こそが、見ず知らずの人間の挙動すらときに嫌悪の対象になったり、現実と信条のギャップにより自分すら苦しめられることになる元凶となったりするシロモノです。

よって、あぴママとしては次回の記事、そしてそのまた次回の記事まで使ってこの信条を解体していくことを3記事にわたって試みていきます。

ある種の人々の信条解体に役立つのではないかな、と思われる非常に興味深い記事を見つけましたのでリンクを貼っておきます。料理は愛情を込めてつくるべきと思っており、そうしない人を内心白い目で見てしまう方はぜひ読んでみてください。新たな知見がもらえるかもしれません。

FRaU | 講談社

「料理には愛情が必要」そのように語る人やレシピ本はいまだに多い。本当に、愛があれば美味しいものが作れるのだろうか。その背…

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