家事を手抜きに行う人をのことを「ずぼら」と呼ばれることがあるようですが、「ずぼら」という言葉づかいにはとても違和感があります。ずぼらとは、意味を調べると「行動・性格がだらしのないこと。また、そのさまやそのような人」のこと。
家事というのは生活をいとなむのに必要な雑事。料理をしたり衣服を洗ったり、生きる上でのきわめて個人的な活動です。人それぞれいろんなやり方があってよいし、本来はお手本をみて指導を受ける類のものではないのです。
なのにおそらく多くの人が「こうあるべき」という理想の姿を持っている。親から継承されたイメージというのもあるし、メディアから受けた影響というのもあるのかもしれません。そしてその理想のイメージというのはある程度、国民の間で共有できているからこそ、その理想から離れた人を「ズボラ」すなわち「だらしがない人」と呼ぶことに違和感を持つ人がいないのでしょう。
まあしかし、「料理は愛情である」という考え方すら、1960年代以降さかんに言われるようになった、つくられた概念である。ということは先日の「わたしの料理観」という投稿でシェアした記事にも書いてあったとおりです。
現在多くの人が共有している「家事たるものはこうあるべき」という理想。これも多くの人が編纂し編集し作り上げたイメージです。
そんなものと比較することはせず、自分が必要と思うことを一からデザインし、自分の形を決めてみませんか?基本的に、お手本をみてつくったものと、自分でいちからデザインしたものは設計思想が違い、質も違います。それができれば他人と比べることはなくなります。似ているから比べてしまうのです。全部が違うと可笑しくて比べる気にすらなりません。
そういうことをやっているのが我が夫です。みていて清々しいものがあります。
私自身もあまり細かいほうではないのですが、それでも夫のこのゆるさにはなかなか目を見はらされるものがありました。暮らしをともにしはじめたときはなおさらです。 あぴ[…]
ラジオではここに掲載していない話までふくめてゆったりとお話ししております。こちらもどうぞよろしくお願いいたします。家事最低限で絶好調。きちんとできない罪悪感を捨てる思考法。