久しぶりに包丁で指を切ってしまったら、あぴちゃんのほうが痛そうだったのでした。
でも私も同様で、あぴちゃんの傷ってまともに見れたことがありません。辛すぎるんです。
ですから、うちではいつも夫が応急処置係です。彼はミラーニューロンが少ないので、淡々と処置することができます。
ミラーニューロンに思いを馳せ、嫌いな人を想像してみようと記憶をたどり呼び寄せ、頭の中で怪我をさせてみました。
普通に嫌でしたね。やっぱり、ぜったいつらいなと。いくら嫌いでも怪我させたくありませんし、危ない目に遭ってもほしくありません。
それなら、「嫌い」ってどういう感情なのだろうか。考えを深めて考えてみると面白いです。
私は最近、とても苦手なタイプの方とお話をする機会があり、どうしてこう心がざわざわするのかなと分解していったときに、自分の心の根底に同族嫌悪のような気持ちを発見しました。
そこで、それを友人の二郎くんに話したところ、こういう回答が却ってきて、大変深いなと思ったところでした。
「人間同士の攻撃というのはほとんど同族嫌悪じゃないかとか、思うんです。自分の中にあるから、理解も出来、憎めるというか。」
深いです。
本当は嫌いじゃないんだろうな、と私は考えます。ほんとうは好きだから、大好きだから、残念で憎んでしまうんだと、そういうふうに考えています。人間とは悲しい生き物ですね。
人は、自分以外の人間から、自分の言葉を聞きたいものであるから
上記は5月の人気Voicyです。良い言葉を見つけていく。自分なりの言語センスを磨いていく。そのためのもっとも効率的な方法。このようなことについて話しているつもりです。
チャプターはこんな感じで展開します。
チャプター2、言葉は自分の中にある。まだ発見できていないだけ。まだ外縁を与えられていないだけ。それならどうやって言葉を使いこなせるようになっていくのか。
チャプター3、教育の本質は、自分のようになれということ。だから教育者は、自分を生き切らないといけない。それなら..
いつもより長く、さまざまな話題を縦横無尽に展開しました。こういう話の展開の仕方って、あんまり効率主義者の皆さんにはウケないんです。でも、あぴママのコアなファンな方には、喜んでもらえることがあります。
今週末のゆっくりした時間帯に、ぜひ聴いてみて。Voicyも、どうぞよろしくお願いいたします。