ひとりっこの我が娘。その昔わたしは、娘を必要以上に甘やかしてしまうことで、わがままな子に育ってしまうことを極端に恐れていた。だからこそ、だらだらと動画を見せない、お菓子を欲しがるだけ与えない、必要なものしか買ってやらない、ということにこだわっていた。しっかり勉強をさせ、家事もやらせ、自立を促すことに重きを置いて育てていた。(今では考えられない…)でも、そんな日々は変わるのである。
祖父母に甘やかされて帰ってきたあぴちゃん
何年か前に、娘が遠方の祖父母の家で1週間を過ごしてきた。これでもかというくらいの愛情と甘やかしを毎日たくさん浴び続けてきた娘。ふたたび、家での私との単調な生活に慣れることができるのかと私は焦ったものだけど、帰ってきた。きらっきらの笑顔と無邪気な心を携えて。なぜか娘は、前よりずっと素直になり、よく笑い、ポジティブになって帰って来たのであった。その、きらっきらの様子が3日経っても変わらないあたりで、わたしは、自分のそれまでの厳しめの態度に疑いを持たざるをえなくなった。「厳しくあること、甘やかさずに、ほしいものを与えないことは、本当に娘のためになるのかしら。」
ママが育った環境
翻って自分の話をする。わたしは、厳しい環境でしつけられてきた。ほしいものは手に入らないのが普通のことで、「ほしい」と口に出すこともなかった。口に出すだけ無駄だとわかっていたから。デパート、スーパー、観光地。どこにいっても、手に入らないものをただ眺めて終わった。手に入らないものを思って悔しい思いをした思い出もほとんどない。手に入るというイメージが持てないものは、そもそもほしいとは思わないからだ。大人になって自立したあとも、ほしいものは特になかった。淡々と生活し、やがて結婚し、子宝に恵まれた。そうして自由なお金を手にいれ、ささやかな「ほしい」を徐々に満たしていく生活を何年か続けただろうか。ようやく自分の本来の性質が顔をのぞかせてきたように思う。それは「ほしいものはすべて手に入れたい。」という根源的な気持ち。欲望ともいうのかしら。私は戦略を立てることを覚えた。「欲しい。今は手に入らない。では、どうすればよいか。」を頭を絞って考え、一歩一歩それに近づいていき、実際に手にいれる楽しみを覚えた。人生は、急に加速度を増した。実に、年齢にして30手前だったかしら。はっきり言って遅すぎる。
自分の頭で考えることができる子を育てるために
子育てに話を戻す。我慢させるのがふつうになると、「ほしいものが手に入らないのは普通のことだ」と受け入れてしまうのが、子供というものではないだろうか。彼らは、環境に順応するのがとても早い生き物だから。反面、そんなに我慢しないのがふつうになると、何らかの理由でほしいものが手に入らなかったときに「なぜ手に入らないのか?」を考え始めるようになる。そしてそれは、「どうすれば手に入るのか?」と具体的な方法を考え始めるきっかけになるだろう。様々な選択肢の中から、安全で、もっとも効率的な方法を選びとること。それを考える力を養うのを助けるのが親の役目だと思う。そして、それは今後の人生の中であらゆるところで応用が効くとても大事な能力だ。親の役目は、決して我慢を強いて忍耐を教えることだけではないだろう。
望むものを与えることに私は怖さがあったのだと思う。でもこういうことに気付いてからは、それまでよりずっと、娘のほしいものを与え、やりたいことを叶えてやることに迷いがなくなった。前よりもっと、ずーっとリラックスして娘と向き合っていて、一緒に笑い合う頻度も増えているのである。