あぴちゃんは、コロナの休校当時や、土日などゲームやYoutube視聴ばかりする時期がありましたから、親としてかなり心配したし、いろいろもめました。最後には、親の力振りかざして時間制限を押し付けたりね。
言わない育児というテーマで作品を書いたことがあります。少しキャッチーで人目を引く題名を選びはしましたが、私が実践しているのは、より正確にいうと「言わない育児」というより、「効果が絶対に出るとにらんだときだけ[…]
しかし最近変化が訪れ、本に没頭するようになりました。
最初は彼女は、「読書による読解力の向上」が目当てで、本を読んでいたのです。しかし次第に、本そのものに楽しみを見出すように変化してきました。
読書と読解力の関係、また読解力が社会で他者からみとめられるさまざまな能力の根本にあるのだということ、何年かかけて、あの手この手でこの情報を娘に仕込んでまいりましたが、ようやく芽を出したかという気持ちでございます。
それで、齢12歳になっても、かいけつゾロリと、おしりたんていにしか興味を示さなかった我が子が、ミヒャエルエンデを読み始めたときは、感動もひとしおでした。
そして今読んでいるのは、椋鳩十です。
あぴちゃんに勧められて「マヤの一生」を再度読んでみたら、素晴らしい本でしたから、推し活の一環でこの漫画を描きました。
わたしは子どもの頃、あまり感性が育っておりませんでしたから、椋鳩十を読んでもピンとこなかったのです。
マヤの一生も物語の骨子は記憶していました。
子どもの頃のわたしの本の読み方というのは、物語の推移、構造を追う、これ一本でした。とにかく結末はどうなるのか、どのように物語が運ばれるのかが知りたい、という感じ。
必然的に好んで手に取るのは推理小説やミステリー、SFだったと記憶しております。
当時一度は手に取った椋鳩十が、こんな読み方をしていては、おもしろいはずがありません。
椋鳩十は心で感じる本なのですね。左脳ではなく、右脳で読む本です。「マヤの一生」は素晴らしい本でございました。
また、それ以降、あぴちゃんとふたり、椋鳩十の「片耳の大シカ」なども読みました。これもまた素晴らしい。おもしろかったです。
あぴちゃんがいなかったらこれらの本をまた手にとることはなかったでしょう。再度素晴らしい本に出会わせてくれたあぴちゃんには感謝しています。
親子で本を読むっていったって、何を選んだらよいのか。こういう気持ちになってしまう方には、ぜひ、椋鳩十をお勧めしたいと思います。