コロナウィルス流行により可視化された平等主義を押し付ける人々
いつのときもどんなときも、「自分の我慢していることは他人も我慢するべき」と怒る人々はいますが、今回の騒ぎでもあらゆるシーンでこの手の人々が可視化されたなと思います。
あらゆる例の中で、比較的身近で印象的だったのは、ある主婦による育児漫画についたコメントです。それは、比較的感染の少ない地域に住んでいる主婦がお弁当をもって公園に遊びにいったという漫画でした。それについたコメントで、「自分は感染者が多く出ている地域に住んでいて外出を控えており日々我慢して生活をしているのに、そのように楽しんでいる姿を漫画にするのはどうかと思う」というものでした。そしてそのコメントに賛同するコメントがたくさん集まっていたということもある種の驚きでした。
羨ましくても自由に見えても、隣人に嫉妬しない
どんなに自分の生活が色あせて見えても、他人の生活が素敵に見えても、全く嫉妬しないし妬むこともない。この心が手に入ると、日常生活がとてもスムーズです。むしろなんのバッファもなく、邪念もなく、日々を淡々と過ごすことができて非常に効率がよいと思うのです。
さてこの心はどうやったら手に入るでしょうか。正解は、たぶん「自己の安定」という言葉の中にあるはずです。この心をどうやって無邪気な子どもに教えることができるでしょうか。これは、私がいまだに考え続けている問いです。
最後に
※本件の過度な平等主義の例として分かりやすい感想をいただいたので許可をいただいたうえで引用しておきます。
はじめまして。いつも楽しく、学びながら見ています。新しく投稿された平等主義をおしつける人々についてtotally agree!と伝えたくメッセージしました!
最近のコロナ禍でよく見かける光景だなと思いました。おそらくその育児漫画の記事のコメントも見ました。自分が本当に感じていることを隠しあたかも正論を説いているかのように相手を批判する。子供たちは素直に受け入れられるけど大人は…。
仕事で悩みを抱えた思春期の学生と接しますが、そこからいじめに発展することも多々あります。
私自身、スカートを履いて子供を公園に連れて行くと『よくスカート履いて子供連れてくるよね~危ないよ?』『そんなお洒落してここ公園だよ?』なんてよく言われます。自分の本当の気持ちを見つけ受け入れる。心地が悪いことかもしれないけど、我が子に穏やかに過ごしてほしい。私も課題です。