先日、漫画で描いたような場面が実際にあり、自分の対応が昔とだいぶちがうなと気付いたので漫画にしてみたのでした。
数年前はわたしはあぴちゃんのこのような態度を明確に拒否しておりました。牛乳をついでやることもありませんし、むしろ態度が失礼であることを強めの言葉で戒めていたように思います。
それには自分なりにれっきとした理由がありました。いろいろな理由がある中、主なものを一言でまとめると、それはあぴちゃんが健やかに生きるためです。
あぴちゃんはしばらくは私と生きなければならないので、主な保護者である私の感情を荒立てるような言葉遣いを許してしまうと、私は気持ちを害して、あぴちゃんに強くあたってしまいます。そうなると、あぴちゃん自身の健やかな育ちに悪影響が及ぶことになります。
私は虐待を受けて育ったこともあり、いまいち、自分を信頼する感覚がありません。どんなことがあっても子どもに暴力は振るわない、これに関して自信がないということです。
(今日の漫画には暴力的な描写が含まれているので苦手な方は閲覧をお控えください。) 人は他者による身体的暴力にたいして、いかにして抵抗するべきか。 私は経験上、この課題については人より深く考えてきていると思います。これに関する正しい答えを[…]
自分が暴力をふるわないためには、相手の社会性を整えなければならない、昔の私にはそういう動機がありました。だからこそ、いちいちあぴちゃんの細かな言動に目くじらを立てておりました。
最近は自分のほうがずっとずっと柔軟になりました。言葉遣いの悪さの背景を探ることができるようになりました。それは、深いところであぴちゃんのことを信じられるようになってきたからだと思います。あぴちゃんのみならず、人を見るときに、その人の表面に出る行動ではなく、内側にあるものを探るようになってきました。
これはあぴちゃんの変化というより、自分の気持ちの変化です。
この対応がいいのか悪いのかわからないけれど、最近は昔よりあぴちゃんが私のことをまっすぐ見てくれているのを感じます。なんの解釈も入らない、ただひとりの人間としてまっすぐに見てくれている感じがします。見つめあうたびになんだか通じ合っている気がしてうれしいのです。
今週木曜日のあぴママの本音記事では、今日の漫画をもっと深めたものをかいてみようと思います。
テーマは「親の自立」です。今週もどうぞよろしくお願いいたします。
(以下2024年10月15日追記)
自分の漫画を見返していて、少し感動しました。というのも、先日あぴちゃんが「うちが小学六年生くらいのころから急に喧嘩が減ったよね。それまでパパのほうがママより好きだったのに、ママのほうが好きになったんだよな。なんでだろう。」とか言ってたんですよね。
母親としての姿勢がこのころに急に変わり始めたから、と強引に結論づけることもできそうです。わたしは「すべての問題の原因は自分の方にある」と考えるのが好きですから、この強引な結論を支持します。