「親にはまったく優しくしてもらえんし!」のところで、妙にニヤけていたので「あ、優しくしてもらってる自覚あるんだなー。」とじわじわきてしまったのでした。
「こんな家に生まれてきた時点で終わってるわ。」
「うち、死にたいわ。」
「こんな不幸な人生にするんだったら、そもそも生まないでくれよっ!」
あぴちゃんはまぁ、こういうことをいろいろ言うのですけど、あんまりそれを漫画に描くと、「人にそういうことを言ったらいけないと教えるべきじゃないか」とか「人としてよくない発言だ」とかなんとかいうコメントが必ず届くのです。
私は基本的にこういう発言は、是正することなく放置しています。というのも、彼女がこういう過激なヘイト発言をするのは、もっとも心を許している親の前だけであるとわかっているし、普段の彼女の行動や言動は、まったく別の方向性を指し示しています。
「ママ、大好き。」「ママに会えてよかった。」「この家に生まれてよかった。」
年齢も年齢なので、彼女はこんなことを言葉では言いませんが、それらは、つねに体中から常にほとばしっている念のようなもので、毎日のものです。
それらを常に受け取っている身としては、過激なヘイト発言も「あ、そう。」みたいな感じで、そもそも問題である、という感じでテーブルに議題をのせる気にもならないというか….
結局、そういう発言を受けて親として傷つく人は是正してあげたらいいと思うし、放置できる人は放置すればよいと思います。
総じて思うのは、私たちの関係性に関し、第三者に言えることはなにもないんじゃないかなということですね。
どのご家庭もそうですよ。関係性というのは、当事者にしかわからない非常にパーソナルなものだと思います。
※こちらの記事に、「そうは言っても子供からこんなひどいことを言われたら心が動揺しまくる…」という声をいただきましたから、本件に関する私の思考をさらにさらに深堀する記事も書きました。人の言葉に悪い影響を受けやすい方には、良い方向に作用するものになっていると思います。こちらも併せてどうぞ。
子どもが言葉を覚えてくると、親であるこちらにちょくちょく、妙な感情戦をしかけてこようとします。 「こんな家に生まれなければよかった!」 「ママじゃない人がお母さんになってほしかった!」 「うち、もう死のうかなっ!」 […]