と、漫画ではほっこりしてしまいましたが、小学生の悲惨ないじめのニュースをみかけるたびに、あぴちゃんといじめについて真剣に話をします。
これ系のニュースでよく見かける世論。それは「いじめはダメ。絶対。」というものですね。いじめというワードがでてくるたびに、その行為への感覚的な嫌悪感をもろに剥き出したような個人的意見が飛び交いますよね。
最近では、そういった世論が、過去にいじめを行ったとされる音楽家からオリンピック開会式用の作曲をおこなう仕事を剥奪するのに一役買ったというニュースもありました。
多数の大人がもろにいじめに関する事件への嫌悪感を示すこと。それにより、子どもたちにその行為が社会的に許されないことだという空気が伝わるメリットもたしかにあるのでしょう。しかし私が思うのは、いじめというのは人間の普遍的かつ本能的行為ですから、嫌悪感の表現によりいじめがなくなることはないだろうということです。
むしろ、そういうもろな嫌悪感というのは、二次的ないじめを引き起こします。前述の音楽家などは最終的には世論による二次的ないじめの被害者となっておりましたね。もちろん彼が行ったとされることが社会的に許されないということは前提です。しかし、いじめを行ったとされる人をいじめてもよいのか。これはなかなか深い命題です。
子どもを教育する上でもっとも大事なのは、いじめはどこの場所でもどんな環境でも起こりうるということ。自分が加害者もしくは被害者になる可能性があるということを認識し、備えておくことであるように思います。
こちらは会員様向けではありますが、関連記事です。
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