「愛されて育った子は、親の我慢を露ほども気にしていない。そんなものだ。」果たしてそんな子はいるのかなと疑問に思ったので取り上げたのでした。
大人にとって、現実の生活は、我慢や制限の連続です。
さまざまなことに涙をのんで妥協したり、折り合いをつけたりしながらも、この世の波を乗りこなして生きて行く。
これをそのまま見せるのが親の教育なのではないでしょうか。
親の苦労や我慢も露ほどにも気にしない子が、本当に世の中で強く生きていけるのでしょうか。自分でも、変なことを言っているなと思います。そんな子が本当に存在するとは思えないからです。(コメント主さんもそういう意味でおっしゃったのではないかもしれないしね。)
生活は、親がつくるものではないと思うんです。
子どもとは法律上も人々の認識上も、養われて保護されて当然の存在とされていると思います。
たしかにそれもわかるし、そこから大きく逸脱したら子どもにとって良くありません。しかし、依然としてわたしの頭の中では、生活とは家族全員でつくるものだと考えています。そしてそのようにふるまっています。
我慢していること、制限されていること、嬉しかったこと、悲しかったこと。わたしのそのときの気持ちは、すべて娘に説明します。
それが生活教育です。
どうせ、これから娘もここを離れて、ひとりで生活をつくっていきます。
すぐ先の自立が見えている子に、綺麗なものだけを見せて、いったい何になるというのですか。
前述の気にしてないように見えるあぴちゃんの心の中は、「親の制限は一応心にはあるけど、大人には当たり前の制限だし、いちいち気にしてられっか。」みたいな感じじゃないかなぁ。
まぁ言いたいのは、うちのはぜんぜん綺麗な話ではないんですよ、ということです。