【あぴママの本音】喜びと楽しみを見失ったわたしの話│あぴママびより
喜びと楽しみを見失ったわたしの 話

【あぴママの本音】喜びと楽しみを見失ったわたしの話

6月は仕事で想定外のことが起こり、それへの対応で大変気ぜわしくしておりました。

仕事仕事の1か月で、本を読んでも、自分の好きなことをしていてもなかなか気が晴れませんでした。

とはいえ、私も成長しました。めったに起こらないようなことが起きても、昔ほどは追い詰められることはなくなりました。

不安を燃料に走りまくるということも、新しい自分を生きる練習という漫画を描いて以降、確実になくなってきていると感じます。

それでも、6月は大変でした。そして人はこんなにも簡単に、喜びや楽しみを見失ってしまうんだなと自分を見て思いました。

下手したらこのまま喜びや楽しみを見失ってなんとなく定年まで生き続けるんだろうなと思え、大変おそろしい気持ちでいます。それほどに、自分の人生のコントロール権を世界に渡し続けているのは、楽だから。思考停止して生きるのは一種の快楽だから。

このままでい続けるのかそれとも前の状態に回復するのか。それは紙一重であるなと感じている状態ですが、これまで自分の中に見出してきた知恵を駆使して、なんとかコントロール権を取り戻そうと奮闘しているわたしの記録です。

同じように、喜びと楽しみを見失ってしまっている方には、参考にしていただける視点が含まれているのに違いありません。

小学生のころは、寝る前によく話をしていた。私が今までの人生で見聞きしてきたよしなしごとなどを、子守唄がわりに聞かせてた。ママが5才のころばあちゃんがね
ここ一年は子守唄はスキップして、布団に入ったら即寝るような日々だったけど
最近、子守唄復活。会話してから寝るようになった。そんなくだりに。 うち最近、ゲームが楽しすぎて家に帰るのが楽しみでしかたないわ。
えー、楽しみがあるっていいなぁ。最近ママにはそこまでの楽しみないわ。うらやましいわぁ!! あぴちゃんが心底うらやましく感じた私である。
あぴちゃんが心底うらやましいと思う機会はつい最近もあった。家事の合間に所在なく空気に目を泳がせていたら、テスト前で勉強に熱中するあぴちゃんに焦点が合った。あぴちゃんはすごく一生懸命勉強をしていて
「目指すものがあって、安直にやるべきことがあって、本当にうらやましいな」と、心の底からそう思った。
今の私が、何らかの試験を前にしていて、トップを目指せる可能性があったとしても、ここまで打ち込めないだろうなと、そう思った。
私にも目指すものはあるし、楽しみにしていることもある。あたかもゲームのように、うまくやれば、相応の報酬が手に入るものもある。 しかしもうそういう簡単な基準の上のゲーム、つまり、狭い箱の中に自分を押し込めることはもはやできないし、後戻りもできない。精神は非可逆的だと実感する。
トップじゃない人間にしか、トップを目指すことはできないし、トップを目指す喜びは味わえない。すでに人間は一人一人、トップにあると知ってしまった自分は、その知恵と引き換えに、安直な目標を目指す喜びを永遠に捨ててしまった。
でもうらやましいんだよね。毎日楽しみがあって、また安直に打ち込めるものがあるのがうらやましい。安直さが、未熟な発想がうらやましい。小さな箱の中でトップを目指し、承認欲求の足しにすることを目指せる、幼いテンションがうらやましい。 でも、すでに小さい箱を出てしまった大人の余裕の上の、独特の満たされなさも、案外簡単なことで解決できる。

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