三月も終わる頃に雪が降ったのだ。小さな雪だるまがつくれるくらいに。
コロナウィルス騒ぎで、なかなか外出ができないなか、夫は出勤してしまったので、あぴちゃんとふたりで家で過ごした。外出自粛を受けて、子どもとのおうち遊びをつのってみた私だが、あぴちゃんはそんなものは全然求めていないのである。ただひたすら、Netflixで大好きなドラゴンボールをみて過ごしていた。
合間をみて、外に連れ出し、ふたりで雪だるまをつくったり雪合戦をしたり、楽しいひとときを過ごした。木陰に隠すようにおいていった雪だるまの無事を確認しに、もう一度外に出ることをねだるくらいにはまだ幼いあぴちゃん。それをみて、なんとなくその幼さの終わるときを思った。
子どもは、親に成長の様子を見せることで、親に、人間たるや、成長たるやは何かを教えてくれる存在。無垢材を彫り進めて素敵な彫像をつくるように、自分を見つけていく途上にある子ども。その幼さが失われていくことはなんらマイナスではなく、喜ばしいことなのだ。それに、親自身が成長をやめなければ、たとえ、子が60才になっても、子は親にとって幼いもののはずだ。
あと9年もすれば、わたしの手を完全に離れるだろうこの子と過ごした1日1日の幸せを、こうして忘れないように、記録していきたい。