人はお手本なしには生きられないから│あぴママびより
人はお手本なしには生きられないから

人はお手本なしには生きられないから

スマホが日常になってから、明らかに細切れでしか集中できなくなっていて、たとえ本を読んでいても、すぐにスマホで調べものをしたくなる。その勢いでメールチェックもする。人ってほんとに更新って言葉に弱いな。
メッセージがきていたら嬉しいし、そのついでにSNSとかで新しい情報が見れたら嬉しい。「スマホを見れば自分にとって目新しい情報がいつもある」というのが一番の魅力。どうしても本よりスマホにいっちゃうんだよな。
でもやっぱりいつもすごいのは本の方だったなと思い出し、本を手にとり読み始めたのが最近。スマホ脳のせいで最初は一冊読み通すのも難儀だったけどだんだんと集中できるようになってきた。
人生のフェーズによって本には色んな読み方があった。「趣味の分野の勉強がしたい」とか「具体的な思考スキルを身につけたい」とかそういうこともあれば「ただ物語を楽しみたい」、そういうときも。
ここ最近は、自分が長年憧れてきた生き方を実践して生きた人の本をたくさんよんでいる。ヘンリー・D・ソロー、今泉吉晴、徳川幹子、ターシャ・テューダー。
こういう先人の思考の軌跡をなぞり吸収している。吸収した部分を活かし彼らと同じ場所にいこうとしているのだと思う。こういうふうにして今までの人生も形作ってきたな。行きたい方向にすでにいる人たちの思考を本をとおして学び同じようにやってみて、今がある。
若い頃は特に、身の回りの世界にはあんまり、目指したい人はいなかったから、本を通して人を見つけ本の中の人から「このように生きたい」という夢のタネをもらい、それを大事に育てたなぁ。
本に出会えてよかったな。本がなければ、あのまま、あんまり憧れない人たちをお手本にするよりほかなかったんじゃないか。人はお手本なしでは生きられない。あのままあんまり憧れない生き方を実践し、今頃なにを思ってたろう。
正直スマホの方が私の安易な関心をひく力が強い。だけどあえて今、本を手にとろうと思う。苦しいときこそ変革のとき、変革のときこそ本を読むとき。この一冊が私の未来を少しずつ変えるんだなと感じワクワクしながら読んでいる。

ここ1年はあまり本を読むことはなかったのですけれど、最近また、むさぼるように本を読んでいます。

もともと本を読むのは好きで、一番読んでいたのは、小学生から中学生にかけて。次に本を読むようになったのは、大学生の頃、そして社会人になってからはぼちぼちでしたが、あぴちゃんが3~5歳の頃に限っては、たぶん年間100冊以上読んでいました。(多読ってあんまり意味ないなと思っているのはこのときの経験がもとになっています。)

年間数百冊とか逆にダメ⁉︎月に1冊で最大限に効果を得る読書法(Voicy)

聖書など、通読して理解をしていきたいなという本はたまに開きつつ、もう普通の本はいいかなと思っていたところになんでまた読書を始めたのかというと、生活がきつくなってきたからです。

生活がきつくなってくると、本を読み始めます。無意識に、落としどころを探っているのだと思います。目の前のこの現実への落としどころを。

ちょうど今は、ヘンリー・デービッド・ソローの「森の生活」の日本語訳と原書をくらべくらべ読みながら楽しんでいます。英語の勉強とかそういう意味ではなく、単純に、目の前の日本語訳が、元は英語でどのように表現されていたのか知りたいというか、そんな気持ちで読んでいます。

こういうことが好きでちょくちょくこんなことをやってるんですけど、翻訳がうまくなるというわけではありませんし、今後、英語を使うあてもありません。

なんか好きでやっちゃうんですよ。本当に意味がないんだろうけど、こういう時間をそぎ落とすべきじゃないなと感じています。

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