あぴちゃんには、自分の思っていること、信じていること、すべて伝えているつもりです。
そうすると、「みんなは○○だと思っているけれど、自分は△△だと思っていること」など、微妙な狭間にあることも伝えざるを得なくなってきます。
そういうときわたしは、「みんなは○○だと信じ込んでいるから、実は、自分が△△だと思ってるということをみんなに言うと、角が立つし、のけ者にされるかもしれないから、まだ若いうちは、○○だと思ってるフリをして生きなさい。」とあぴちゃんには伝えるようにしています。「大衆の中で生きると決めるなら出る杭にはぜったいなるなよ。」という自分なりのメッセージでもあります。
あぴちゃんは非常にうまくやっており、みんなに完全にとけ込んでいるようです。
そもそも彼女は、わたしの意見を取り込んでいるというわけでもなく、ママの常識、みんなの常識というものを完全にそれぞれスタンドアロンなものだと認識しており、ふたつの世界を器用に行き来しているようにも見えます。
しかしこのおみやげの件に関しては、あぴちゃんの行動を聞いて「守備範囲外だった…!」と切なくなりました。自分のやっている教育は罪だなとほんとうにそう思います。
最近「わたしのようには、なるな!」と口を酸っぱくして聞かせていますが、その割にわたしこそのんべんだらりと生きている様子を見せてしまっているので、「こいつのようにのんべんだらりと生きていけるなら、こいつのようになろう」と思われているような気もします。恐ろしいです。