自分だけの言葉を発見して生きる│あぴママびより
自分だけの言葉を発見して生きる。

自分だけの言葉を発見して生きる

今日は自分だけの言葉を発見した、うにゃさんの話です。

あぴママのSNSアカウントはうにゃさんが運営している。
うにゃさんはクリエイター。
だからわたしは自分のことをうにゃぴちゅと名乗ることにしたのです。
ためすあぴママ
やっば、なにこれなにこれ。
自分だけの言葉が発見できないから不幸な人の多い中、自分の祝詞を発見して笑っていたうにゃさんはすごい人だ。
たくさんの時間が生まれた。
これからもよろしくお願いします。

はい、さっそく自分も「うにゃー、ぴちゅぴちゅぴちゅぴちゅ」とやってみたあなた。あなたは私の友達ですわ。

わたしはこういうのを見つけたら、ついなにも思わずに試してみるほうなので、はじめてこの祝詞を読み上げながらのびをしたときに、本当に手のあたりに力が湧いてきましたから、すごーいと思ったのでした。うにゃさんのショップはこちら。(今後あぴママの作品にフェルトが登場したら、それはうにゃさんの作品です。)

それでたまにこの祝詞を思い出して、久々にやろうかな、と思ったりするのですが、面倒くさいのもあるし、少しこっぱずかしくて、やらないことも多々ありますから、わたしもまだまだだなぁと考えております。本当にまだまだです。

しかしまだまだでありながらも、すこし進んできておりまして、ようやくSNSの運営にうにゃさんの手を借りるようになりましたから、本業が非常にはかどっており、その進みには目を見張るものがあります。

「自分の仕事をだれかにゆだねる」というのは、わたしにとっては慣れないことでした。ですから手放したときは、めちゃくちゃキツかったです。親が死ぬよりキツイんじゃないかな、と一時期思っておりましたから、やはり執着を手放すということは、皆ができることではないなぁということを再確認しました。

でも手放した途端に、逆にいろんな良いものが私の中に入ってくるようになりました。それらはまるで「よく手放したね」というご褒美であるかのようです。

いつもいつも、毎回毎回、なにか大きなものを手放したら、それよりもっと大きいものが手に入るものですから、ほんとうに誰かが私のことを見ていてくれているのではないかと疑ってしまうほどです。

しかしどうもこの記事をかいている今の心もちとして、ずっと私のことを心配してくださった方に、やっとよいご報告ができるなぁとそういう感覚を持っております。だから一言、その方のために付け加えて締めくくりましょうか。

わたし、なんとかうまくやっております。楽しいですよ。余裕ができました。どうかどうか、あなたもお体にお気をつけて。

 

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