あぴちゃんの友人に、とにかく経営者になりたいらしい子がいて、1年半くらい前に授業参観で、彼女がどのように経営者になっていこうと思っているのかをまとめたプレゼンを観覧したことがあります。
「経営者」というアイコンに一心に憧れているそんな彼女を見て、とても純粋でまぶしく素晴らしいなと思いました。
しかし、彼女のプレゼン資料は、夢に向かう彼女を効果的に導いてあげるメンターが彼女のまわりに皆無であることを如実に物語っておりました。
経営者になるために何をするのか、というところでプレゼン資料で語られていたのは、ニュースを見ること、そして英語や会計を重点的に身に着けること、などでした。
それを見て「なるほど、経営者になりたい彼女の周りにいるアドバイザーは、雇われの人ばかりなのだな」と思いました。
英語、会計、時事問題、すでにコモディティ化したスキルを、一生懸命に、しかも複数身に着けることに時間を投入するということは何を意味するのかというと、有能な雇われ人が生まれるだけだとわたしは思っているからです。この発想は、徹底的に雇われを生きる人の発想なんです。
一生雇われ人として生きて行くなら、それで全然かまわないんです。しかし、経営者になりたいと思ってるなら、その発想じゃダメだと、わたしは考えたんですね。
惜しいなぁ、と。悔しいなぁ、と思いましたね。
「経営者」というアイコンに憧れるのは素晴らしいことなんです。「アイドル」でもなんでもいいんです。憧れって素晴らしい。その初期衝動のようなものを殺さずに、うまく伴走してくれるような人がいれば、彼女は本当に経営者になっていくだろうな、と思ったんです。
「スキルじゃないよ。マーケットを見るんだよ。」と、言ってあげたい。
誰かと働くことによって、そして育てなければならない誰かと一緒にいることによって、わたしの中に後進の育成のようなものへの興味がわき始めています。老害の誕生です。
いずれ、あぴちゃんの友人の子のような子どもたちに、私が社長から受け継いだ知恵を、上手に受け渡す機会をつくっていきたいなぁと最近はそんなことも考えながら、ひきこもっております。