

















育ちや親との関係性にかかわるトラウマについて、本音会でわたしの考え方については何度も言葉や表現を変えてお伝えしていますから、今回のVoicyもやはり本音会の方からは非常に深いコメントが数多く届き、すでに皆さんはもうその悪い記憶をめぐる悪い循環から抜けかかっているのだろうなと感じました。
漫画の中では、わたしの子ども時代に、母が周りの方々に私に関する嘘や過度に誇張した悪口をさんざん吹聴していたことに関し、ちょっとわかりにくい部分もあったかなと思い、すこし文章で説明したいと思いました。
母がわたしのことを嫌ったりわたしを問題児とみなす点において、母の側はあきらかに常軌を逸していたけれど、当時の自分は、どうも母だけが問題なはずはないと考えていました。
たぶんわたしの性格に大きな問題があるんだろうとなんとなく考えていました。どちらがいいとか、悪いとか、そう簡単にジャッジできない気がして、あいまいなところをずっとたゆたっている感覚でした。
しかし普段のうまくいってない母子関係の中では、どちらがいいとか悪いとかジャッジできない状態をたゆたっていられたけれど、嘘や誇張した悪口を交えたわたしの悪口を母がまわりの人間に吹聴する点のみにおいては、明らかに母が悪だと思っていました。
ですので、周りの方々に自分側から見た視点を弁明したり、逆に母のおかしな点を吹聴したりすることも当時の自分はできたはずでした。
しかしそれができなかったのです。
なぜかというと、一方の言うことをたいした検証もせずに信じてしまうような簡単な人たちにたいして、母の悪さをわたしの口で話してしまったら、ことの発端となっているそもそもの母子関係の悪さ、というか母が騒ぎ立てている根源的な問題においても、母が「悪」とみなされる可能性が高いと感じてました。
いいとか悪いとか、それってなんなのか、とか。どこからがよくてどこからが悪いのか、とか。
そういうことって、簡単に明らかになるものではありません。じっくりと腰をすえて考え感じていくものですよね。
当時の自分が許容できていただけの、「どちらが悪いのかわからない状態を、ただたゆたう感じ」を、周りにいた、自分の頭でものごとを考えない大人たちが許容できるとは到底思えませんでした。
みんな、考えるのは嫌いなんですよね。渡された答えをそのまま受け入れるのだけが大好きな人たちばかりだから。
だから、どちらが悪いかわからない状態で、母が悪者になるのは嫌でした。
なんかそんな感じで、だれにも言わずについにここまで来ましたが、結局今の発信内容もだいたいそんな感じになってて感慨深いです。
いいのか悪いのかわからない状態を、ただたゆたい、感じている。見ている。そんなかんじ。
だからもちろん、毒親とかアダルトチルドレンとか、わたしの哲学には到底合いません。
非常におかしいものに感じます。
親ばかりが悪者で、子どもは被害者。そこに反論の余地がなく、だれも反論しないほどの、強度の前提となっているところに思想としての脆弱さを感じていました。
だから救えないんでしょ、と思います。
だから、みんな救われないんでしょ、毒親とかアダルトチルドレンとか言ってても。
漫画で紹介したVoicyですが、救われた方が何人もいらっしゃったそうです。たった30分のお話です。
有料で展開するつもりだったんですが、いろいろありなんとなく無料で出したら、すごい反響でして、無料期間を延ばすことにしました。
わたしを救った考え方、おいておきます。
