最後まで信じたいから耳を傾けるのではないか。│あぴママびより
最後まで信じたいと願うから耳を傾けるのではないか。

最後まで信じたいから耳を傾けるのではないか。

今日、先生にすっごい怒られた。
やるべきことをちゃんとやらないと助けてもらえません。友達がいなくなるんですよ。
やるべきことをやれないから、友達が助けてくれるんじゃん。先生は反対のことを言ってるな。
なんか先生はさっきからおかしなことを言ってるな。
さっき先生が言ってたことおかしくなかった?
俺、聞いてなかった。
話を聞かずになんとなく「怒られてるなぁ」という感覚だけ受け取っている人もいるんだね。
うち、話全部聞いちゃうからストレスたまるわ。

漫画の中で先生が言っていることって、わたしも娘をとおしての伝聞ですから、正確性はあいまいなのです。

しかしそれを前提にしても教育の現場でまことしやかに主張される先生側の主張を娘から伝え聞くと、たしかに「ちょっとめちゃくちゃだな」と思うことも、ままあります。

しかし大いに先生側の視点に立ってみると、先生というのには「先生」として社会から持たされた役割と責任がありますから、それを全うするためにも「目の前の子どもに言うことを聞かせたい。思うように動かしたい」というこのニーズを手っ取り早く満たさないといけない事情があるんですよね。

どんなことを言ってもいいわけではないけれど、「目の前の人に言うことを聞かせたい」という意図って、言葉で説明できる論理を簡単に飛び超えてしまうんですよね。ですからまぁ説得力とかはおいておいて、少々めちゃくちゃなことを言ってでも、目の前の子どもたちをまとめようとしてしまう。

果たして自分が先生だったなら、もっとうまくやれるだろうかと考えると「やれるわけないなぁ」と思います。

まぁだから、あぴちゃんには「少々めちゃくちゃなことを言ってでもみんなをまとめなければならない先生の事情は理解しよう。」とは話すことはあります。

あとは、そんな先生たちにあぴちゃんがどんな感想を持とうが、それは彼女の自由です。

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