言わない育児というテーマで作品を書いたことがあります。少しキャッチーで人目を引く題名を選びはしましたが、私が実践しているのは、より正確にいうと「言わない育児」というより、「効果が絶対に出るとにらんだときだけ言う育児、そしてできるだけ子どもの好きにさせる育児」と言う方が近いです。
しかし、それの限界がきた例を紹介します。
ゲームに依存する小学生
あぴちゃん、ゲームが大好きです。休校中は、40分を1コマとして5コマ分勉強したら、あとは好きにさせていました。そうすると、ずっとゲームをやっているわけですね。毎日5,6時間です。視力や思考力への影響から、良くはおもってなかったけれど傍観しておりました。運動は十分だったし、勉強もやっていた。ゲームの内容も過激ではなかったからです。しかし、だんだんと彼女はのめりこんでいき、家族のコミュニケーションの時間であるごはんの時間やおやつの時間への参加も渋るようになりました。そして散歩にいこう、という声かけにも応じず、一人で留守番をしてゲームをするようになりました。
人は、自由時間は好きなことをする権利がある。彼女も自分の時間を好きなように過ごしているだけで誰にも迷惑をかけていない。私はこの事実を前にとても葛藤しました…。そして少しだけ、言いました。家族との大事な時間を尊重しないあなたの態度を私は気に食わない。そして脳への刺激が一様になり、健康な発達を考えると望ましくない。この程度は言ったかな。
全く効きませんでした…。相手のメリットをしっかり言語化できなかったからですね。夢中になるほど面白いゲームをやめるメリットなんてあぴちゃんには、想像できないはずです。
親業なんて結局は価値観の押しつけ、それを認める痛み
そして結果的には親の権力を振りかざし、ゲームに3時間の制限時間を設けました。あぴママの限界です。あぴちゃんはもちろん激しい抵抗を示しました。小さな出来事でしたが、結果として対話の力ではなく、親の権力を振りかざしたことで少しわたしの精神が蝕まれ1日くよくよしてしまいました。
ゲームを長時間やるのは視力によくない。家族との時間は尊重するべき。これは親の価値観に間違いないわけですが、これに対して議論することで子の同意を得たのではなく強制的に適用するほうに舵を切ったことが自分でも嫌だったわけですね。
今では、あぴちゃんは元の状態に戻り、一緒に散歩をしたり、運動をしたり、ゲーム以外にやることを見つけて楽しく過ごしています。ゲームにのめりこんでいたときはなぜかゲームができないときに不機嫌であったり理不尽にイライラしていたものですが穏やかな状態に戻りました。
できるだけ、民主主義な感じで子の意見を尊重することを重視して家庭を運営しているけど、やっぱり子ども相手だと限界もあるし、ときにはそれはただの理想論に過ぎないという例を手にとって挙げてみました。