つい最近、「静かな水の物語」というドキュメンタリー映画を観ました。主人公はターシャ・テューダー。
ターシャ・テューダーとは、絵本作家です。ほぼシングルマザーとして4人の子どもを育て上げ、50代から第二の人生として広大な土地と山を買い、本人が憧れていたいわゆる「昔の暮らし」を実践して生きた人。
彼女の人生の特徴を分かりやすいようにひろい上げると、上記のような言葉になりますが、わたしなりの言葉で彼女を言い表すと、「自分の思った通りに生きる」ということをストイックに実践し続けた人といえます。
「自分の思った通りに生きる」という、自分勝手ととらえられてもおかしくない言葉に、なぜ「ストイック」という言葉をあてるのかというと、自分の思った通りに生きるって、この世界では本当に大変なことだからです。そうさせまいとする圧力のほうがずっと大きいのだから。
このドキュメンタリー映画はとても面白かったです。特に印象的だったのは、ターシャの孫の妻、エイミーの言葉。ターシャの晩年の日々に深いかかわりをもったエイミーですが、ターシャの本質を「すべての選択に容赦がない人であり、妥協しない人。」と言い表していたのですね。
わたしはこのエイミーの言葉に深く、深く納得しました。
今日の漫画は、わたしなりの友人の選択基準というか、そういうものを描きました。ただただ一緒にいてくださる友人たちにたいして、本来は選択と言う言葉をあてるのもおかしな話です。でも、ずっと関係を続けられる人たちには、共通した特徴というものがあります。それは、未来向きであるということです。
「あのとき、この人のように迷っていたなぁ。あの時つらかった自分が懐かしいなぁ。」そんな過去の自分を思い出させてくれるような過去向きの友人たちもいます。過去の自分への懐かしさがありますから、それはそれで離れがたく断ちづらい縁です。
だけど、自分の核を思い出させ、行くべき未来に押し出してくれるような人。絶対量のきまっている時間をどう使えるのかを選べるのであれば、そんな人と過ごしたい。そんな人を選びたい。
「自分の思った通りに生きる」というのは、「誰を見るか。誰についていくのか。」を容赦なく選択していくところから。そんな漫画を描きました。