圧倒的な能力の裏にあるものを探る
会社員時代は、「社長」という種族を間近で見る機会を多く与えられました。職種的にそうだったというわけでもなく、とにかく奇妙な偶然で、どこの企業でも、わりと社長の近くにいることが多かったです。
いろんなタイプのリーダーがいました。悲哀と哀愁が漂ってたり、強力なカリスマ性があったり、人によっていろいろでしたが、みんなかっこよかったです。
そんななかで、本当に優秀な方というのがやっぱりいて、「あ、この人があと一個大切なところだけ抑えれば、どこまでものぼっていくな」と「どこまでもついていっても間違いはなさそうだな」と思える方がいらっしゃいました。(結局ついていかなかったんですが。)
本当にすごいかたで、なんでそんなにすごいのかなぁといつもその方を見上げていました。
わたしがその方を見ていて思ったのは、これは大人になってから身に着けられる類の力ではないなということです。その方の中には強力で速い思考パターンに天性のものがあり、それになにか幼少期から植え付けられている強力な肉付け、下支えのようなものを感じました。
たぶんどこまでいっても敵わないなぁと、そう思いました。
のちに「帝王学」という言葉があるのを知り、少しだけ、彼の凄さの片鱗がつかめたようなそんな気になりました。
IQの変遷と家庭独自の帝王学
話は変わりますが、われわれ人類の数値ではかれるIQというのは、ここ70年で向上しているそうです。
これは、教育システム自体が、そういう数値ではかれる類の抽象的な思考能力や、処理能力を向上させるほうに、うごいているから、そのように説明できるようです。
要は、昔の人間は、われわれより、いわゆる数値ではかれるIQが低かったんですね。でも社会は回っていたし、強力なカリスマ性をもつリーダーはいつの時代も存在していたのです。
親は、子どものIQの向上に参与してやってもいいと思います。時間が余っているのなら。(参考:子どもが自発的に勉強するようになるオリジナルメソッド)
でも、親が本当にやるべきは、その家庭独自でほどこす帝王学のほうだろうなと、そのようにわたしは結論付けています。
親自身がその人生から得たことや思考パターン、成功法則などを、生活を通じて伝承すること。勉強よりも、これだろうなと私は思います。
そして「あぴちゃんは絶対に天才だから。」なによりも親がそう、心から信じること。ここからしか、その家庭独自の帝王学は始まらないと思っています。
かつて私を魅了した社長は、強力で絶大な自信にあふれていました。それは、おそらく、彼自身の天才性を親から強力に信じられていたことが根本にあったのだろうとわたしは今そう感じています。
わたしはあぴちゃんに、目に見えない最高のものを与えたいです。