不要かなと思いつつ解説を加えると、あぴちゃんが言いたいのは「選択肢としてほとんど実質的にYesしかない質問を投げかけていることは十分にわかっているくせに、あえて「家事をしろ」という強制的な意味合いを巧妙に言葉から外して、声かけしてくるママの狡猾さが嫌だ!」と言いたいわけですね(笑)
言い訳すると、別にそんな狡猾さをあえて演じているわけでもなく、こういう言葉遣いは私のデフォルトなわけですが、たしかに言われてみれば、けっこう罪深いなと思ってしまいました。あぴちゃんは本当におもしろいなとも思わされました。
われわれ、夏休みの間中、家事をやるやらないの戦争を繰り広げてきました。あぴちゃんは簡単な家事にも抵抗感が大きくて、たのむたびに、大戦争でした。しかし、結果としていつもやってくれるので、それはなんでだろうなと考えると、やっぱり私の立場の強さというのがあると思うのですね。
フラットな親子関係など欺瞞であると、それを目指すこと自体、構造的に致命的なエラーを抱えこんでしまうことになると私は先日のブログで断言しているわけですが、まぁこういう出来事の一端からも、その主張の意味がわかっていただけるのではないかなと思うのです。
娘のあぴちゃんとの日々を漫画にしていると、非常によく届くコメントがあります。 「あぴママさんは、子どもを一人の人として対等に接していて素晴らしいと思います。」 「フラットな関係を構築されていて素敵だと思います。」 こんなことがわざわざ言語化[…]