犬とわたしの思い出。│あぴママびより
犬とわたしの思い出。

犬とわたしの思い出。

今日は、犬とわたしの思い出を漫画にしてみました。犬は、今も昔も、私にとっては特別な動物です。

うちには小さな庭があり、畑をつくり花を育て、毎日よろしくやっている。
リビングに面している庭だから朝カーテンをあけるときに庭を見ることになるのだけどなんだか不思議なことにいつも
カーテンの後ろで庭から犬がこっちを見ているようなそんな気がフッとする。犬なんて飼ってないから本当に不思議なのだけど。
二階のバルコニーから庭を見るときもいつも、
犬がいて、こちらを見ている気がする。気配を感じるというか。もちろん実際には犬はいない。
昔は今より犬の人権(犬権?)がみとめられていなくて、庭の片隅にポイッとクサリでつながれて家を守っているのが犬だった。
そんなふうにつながれたどこの犬もとてもくさくて汚くて、そろって雑種でこわごわさわるとみんなけっこうかわいい。さわった手はべったりとくさくなる。それが犬だった。
今では保護犬もらうのにも室内飼育が必須だし、犬事情もずいぶん変わった。時代とともに「軒先の者」から「大事なカゾク」に格上げされていった犬達である。
おそらく、軒先のモノを大事にいつくしみながら育ち合った記憶がいるはずのない犬の気配に関係しているのだろう。
こないだ庭を掘り返していたら小さな骨壺が出てきてあけたら動物のホネが出てきた。たぶん犬の骨だったからまぁまぁ面食らってしまった。
聞く人によっては、これは夏のプチ怪談でしょう。しかし私には、この出来事は妙な納得感をもたらした。昔も今も、犬というのは私にとっては特別な動物である。

最近、自宅の庭で、もし名前をつけるなら不法侵入と器物損壊だなぁというような、そんな不穏な出来事がありました。

人間がやったと思ったら、それは奇妙で怖い出来事ですが、どうも行動が珍妙で、犬とかそういう類の獣がやったんじゃないかなと、そのように思いました。

一応近所では、狸やイタチの目撃情報もあります。

だけど、狸やイタチじゃなくて、「うちの犬」がやったんじゃないかと思いまして、うちの犬について漫画を描いてみました。

と、こんなことを申し上げると一部読者の皆さんから「あぴママは大丈夫か..」と心配の声が上がりそうですが、わたしは遊んでいるだけです。

もちろん、漫画に描いてあることは、すべて本当のことで、庭から骨が出てきたことも実際の話で、犬の気配をずっと感じ続けているのも現在進行形の話です。

こういうもろもろをつなげて遊んでいるだけ。

論理で説明できない不思議なことも、目に見えない世界はあるという立場をひとたびとってみて、つなぎあわせてみれば、途端に論理がつながる感じがする、この不思議さとおもしろさを遊んでいるだけのことです。

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