わたしが、ただのわたしでいられる場所を選ぶこと。│あぴママびより
わたしが、ただのわたしでいられる場所を

わたしが、ただのわたしでいられる場所を選ぶこと。

事業をやっていると、同じように事業をやっている人と話す機会が多くなるわけだけれど、私はこの界隈に広がっているフラットな世界が本当に好きだ。
男性の多い会社で働いていた期間が長かったから、会社では少数派であったこともあり、属性で見られることが多かった。私はいつも、「子持ち」の「女」で「会社へのコミットが比較的低い種族」みたいな見られ方をしていたと思う。
徹底した序列社会だったから、格で見られることも多く、昇格したら属性一つ追加。「主任」の「子持ち」の「女」みたいな感じだったと思う。それによって態度を変えてくる人も多かったし、上に見られたり、下に見られたり、なんか嫌だったんだよね。みんなこっちの本体じゃなくて、レッテルのほうを見て判断してくるから。
集団で生きるってそういうことなんだと思う。属性に従うステレオタイプな見方を己の目にインストールすれば、それ以上ものを考えたり感じたりする手間が省けるから、基本的にはみんなそうする。自分だってそういうものの見方をしてしまうこともあるし。
でも嫌だったのよ。みんながレッテルで作り上げた「私」というイメージから外れないように振る舞わないといけない感じもあって窮屈だったし。
学歴、経歴、性、職、いろんなところに差別があり、社会問題にもなっているが、「レッテルを貼る」という行為と差別のなりたちは同じだ。たくさんの人からレッテルのシールを貼られたら、とっても嫌だし窮屈だ。体も重くなってしまうだろう。
でも、「しょうがないから、受け入れるしかないから。」そういう我慢強さと忍耐がなかった私が最後に流れついたこの場所は、本当にフラットだ。属性で差別されて嫌な思いをしたことがほとんどない。とりあえず事業が継続してさえいれば、どんな属性であろうとも、誰とでも対等に渡り合える。
とりあえず泳げているという事実のみで、お互いに対して最低限のリスペクトが瞬時に醸成されるのが心地よい。泳いでいるという事実の前には、男であるとか女であるとか、若いとか、事業が小さいとか大きいとか、そういう情報は瑣末すぎる。とにかく泳いでいるのなら、そこには数多の苦労と涙と喜びがある。それだけ知れば十分だ。
私の場合は、事業だったけれど、他にもこういうフラットな世界は、世の中の至るところに存在しているんだろう。泳いでいる、生きているという事実のみで、数多の苦労と涙と喜びを瞬時に感じ取り、お互いをリスペクトし合う人たちの世界が。
これからも、できればそういう場所を選んで世渡りしていきたい。わたしが、ただのわたしでいられる場所を選んで生きていきたい。

さまざまな属性が世の中にはありまして、その属性をもとに、なんとなく周囲の方々からカテゴライズされてしまう。人間社会にはそういうものがありますね。その中でもいくつかの属性を、当事者として経験することができましたが、私が経験したものの中で、けっこう特異的に嫌だったなというものが「若い未婚女性」というものでした。

ただふつうに息をしているだけで、変なすり寄られ方をしてしまうこともあるし、「若い未婚女性」にふさわしくないとされるものを追い求めると、悪目立ちしてしまいます。

悪目立ちを厭わずにガツガツと生きてきたからこそ今がありますが、ほんとうは悪目立ちなんかしたくもありませんでした。無駄なエネルギーを使うからです。

今まで何度もお話ししてきましたが、たくさんの環境を転々としてきた私です。あなただけの天職を見つける具体的な方法

平たく言うとその動機は、「わたしが、ただのわたしでいられる場所」を見つけることでした。

それはいろんな場所にあり、今ではたくさんの場所を持っています。

漫画中に描いた事業、友人、行きつけの八百屋さん、同僚との関係。

これからも、そういう場所を選んで生きていくと思います。そうするのがずっとストレスなく、生きやすいのだということを知ったからです。

ひとつひとつのシンプルな選択が、今日の快適さをつくりあげるのですから、本当に簡単なお話です。思っているよりずっと簡単なお話です。

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