ピカソ~青の時代を超えて~│あぴママびより
ピカソ見てきた日記

ピカソ~青の時代を超えて~

今日は、お出かけの記録を書きます。漫画ではないです。

神奈川県は箱根、ポーラ美術館に若年のピカソの絵を観にいってまいりました。ピカソといえば、キュービズムの先駆者として、斬新な手法で絵を描いたことで知られている著名な画家(というか巨匠)ですが、彼がそういう形で有名になる前の、18~21歳の頃に描いていた絵を観に行ってまいりました。

普段こういうお出かけ記録をこのブログに書き記すことはないのですが、わたしは取るに足らぬ日常から考えついたことについて、ほとんど一人の人間にしか共有する習慣がなく、今回もその方に共有すれば別によかったのですが、急にその方の負担というものを想像してしまいました。

仕事も衣食住もあろうに、私の相手までしなければならないのは、けっこうかわいそうだなと思い立ったわけです。(急に発動する遠慮と慈悲の心。)

ちょっと今後は、自分というもの、その考え、感性をもう少し世界に開いていこうという試みのひとつとして、こういう日記もブログにあげてみようと思います。

絵画にほとんど積極的興味をもってこなかったのにかかわらず、なぜ今回この季節展を観に行こうと思いたったのかというと、季節展のテーマのひとつとなっている「海辺の母子像」に不思議な魅力を感じたからです。「ピカソってこういう絵も描いたのだな。」と意外に思ったのと、その絵のたたずまいが妙に好きであったので、ポーラ美術館に足をのばしてみたわけです。

その絵は、撮影許可とありましたから、撮った写真をあげてみます。

ピカソ 母子像

だいたいこういう感じの色合いとたたずまいの絵がこのころのピカソのテーマだったようで、ざくっとまとめてしまって申し訳ないのですが、こういう感じの絵がたくさん展示されておりました。

当時の1900年あたりは、どちらかというと絵画のテーマとしては、華やかな人たちが選ばれがちであったのだけれど、ピカソはあえて社会では貧しいほう、貧困して困窮している人たちや、酒場の娼婦などを対象として描いていたようです。

それらの作品を見て私が直接感じたのは、「彼は絵を描くために絵を描いていたのではないのだな」ということです。ちょっとわかりにくいでしょうから説明を試みてみます。

絵画や写真などを見ていてよく感じるのですが、世の中には「絵を描くために絵を描く人がいる」ということです。写真で言い換えると「写真を撮るために写真を撮る人がいる」ということ。

つまり「いい絵を描くために、そしていい表現をするために、絵を描いている」ということがこちらに伝わってくる場合があるということです。

いい写真を撮るために、写真を撮っている。つまり、表現の手段としてあるはずの「写真を撮る」という行為が、いつのまにやら目的に立ち替わっている場合があるということ。

ピカソの初期の絵を観ていると、そういう感じがまったく伝わってこないのですね。彼は目の前に広がっている、言葉では表現しつくせないような、存在とそこから立ち上るものをキャンバスに描き出そうと苦心している。自分の感性が目の前に広がる光景に感応する一瞬をなんとかあぶりだそうとしている。そしてその試みが、高確率で成功している。そんなことを感じました。

巨匠と呼ばれるような人の前に、我がことを引っ張りだすのもおこがましいのですが、自分の表現の仕事にもかなり似通っている部分を感じました。自分の感性が目の前に広がる光景に感応する瞬間を、なんとか表現しようとすること。そしてそれを、よりたしかな形にしたいと希求すること。

私の漫画の読者からはそう思われていないだろうけど、私がやっていることは、あくまで主観的には絵描きの人がやろうとしていることに近い。そういうことをピカソをとおして感じたわけです。

ピカソが写真のような絵を描いていたのは、期間にして3~4年ほどで、そのあとは、明らかなキュービズムのよくわからない感じの表現を突き詰めていくようです。

キュービズム時代の彼の絵も拝見しましたが、後世の学者の人たちは、彼のキュービズム時代を「新たな、そして先鋭的な表現を人生をかけて画策していた」などと展示にて説明しておりましたが、わたしの貧困な感性は「今までの画風に飽きたピカソが、ただ真剣に遊んでいただけではないか。」そういうことを読み取りました。

これに関しては、自分の感性による感知がどこまで正しいのかやっぱり知りたいなと思ったので、ちょっとピカソの人生をしばらく追ってみようかなと思っております。

ちょっと雰囲気を伝えるべく、撮影許可及び投稿許可のあった作品の写真や、不穏な看板の写真などもアップしておきます。

ピカソ。海辺。
海辺の女性たち。すごく好きな感じの絵だった。
これも、すごく好き。これはキュービズム以降の絵。
看板。
遊歩道の看板が不穏すぎた。思わず脳裏に熊に襲われて死ぬ自分の姿がよぎるが、歩をすすめる。
遊歩道。
遊歩道は、とても気持ちがよかったです。

ポーラ美術館は、美術館の裏に遊歩道ももうけてあって、とても素敵な場所でありました。箱根にお寄りの際はぜひ、立ち寄られてみてください。

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