トラウマというのは誰にもあるものです。わたしたちみんな、なにかしらを抱えながら生きています。
でも、これはわるいものではないと思うんです。
トラウマは解消するものではない。捨てたいから、振り切りたいから、そのためにもがき苦しむものではない。
トラウマとは、抱きしめて生きるものです。人格の核になるものです。
今日の漫画はそんなことがテーマです。
Voicyで、「どちらかというとサバイバーだけど、母を悪く言うべきじゃないと感じてる」というお話を赤裸々にしましたら、コメントをいただきまして、「なんだかなぁ」と思ったので、漫画でお答えしてみました。
コメントの内容は以下のとおりです。
非常に共感できるお話で、あぴママさんの言語化能力のすごさに圧倒されます。今のあぴママさんにたどり着くまでの痛みや葛藤を思うと、胸がきゅっとなります。熾烈な環境で過ごされたあぴママさんが、心身を病まずに自分らしく生きられていることには何が大きく影響しているのでしょうか。
ちょっと語弊のある言い方かもしれませんが、なぜ病まずに自分を生きられるのでしょう。
そのような親のもとで育った人全員とは言いませんが、いわゆる機能不全の家庭で育った人たちはかなりの割合でなにかしらの困難を抱えている人が多いと思うのです。
正直、わたしは自分が病んでいるのか病んでいないのかまったくよくわかりませんが、トラウマというものをとても大事にして生きていることに間違いはありません。
誰かの失敗を、この身で痛みをとおして受け入れたこと、そして自分の失敗をとおして学んだこと、すべてが今のわたしを形作っています。
そして今のわたしが、今の快適な仕事、住環境、優しい人々、心地よい空気を引き寄せ、生み出しています。
自分なりに分析すると、やはりこのトラウマというのが核になり、そこから学び、得たことが、すべての良きサイクルを促している、これは本当に否定しようのない、毎日体感している事実なのです。
わたしにとっては、自分を傷つけ蹂躙してきた人々もふくめ、すべてわたしのとおってきた愛しい道。そしてこの道をとおってしか、今の自分はいなかった。この事実が、すべてを善かったもの、あるべきだったものと自分に再認識させざるを得ないのです。
すべてに「ありがとう」と思っています。(このように言うとあんまり綺麗になっちゃうんで、より具体的にいうと「マジありがとう、でも近づかないで。」みたいな感じ、とでも言っておきましょうか。)
これからも生きていきたいです。善いものだけを、人々に受け渡していきたいです。
下記の記事は、「あぴママは毒親の実母に会っていますか?」という問いにこたえた人生相談です。スッパスパ斬っております。ご容赦を。
今日は、ほんとうにたびたびくる質問に答えてまいりたいと思います。 (タイトルで「毒親」としましたが、わたしはあまり毒親という言葉は好きではありません。なんだかお母さんに申し訳なくて。母は一般的に言うとたしかにかなりの毒親だったかもし[…]