【あぴママの本音】汝、責任ゲームにだまされるべからず│あぴママびより
汝、責任ゲームにだまされるべからず。

【あぴママの本音】汝、責任ゲームにだまされるべからず

前々回のあぴママの本音記事では、お金というのがいかに、我々の本質を見るための目を狂わせるか、そういうことについて取り上げました。人はそれぞれ自分が到達すべきゴールというものを持っていますが、その場所がどこであるのかを知ることを邪魔するのが「お金」というものだと説明したわけです。

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叶えたい夢。希望。だれしも淡くこういうものを持ちながら生きているものだと思います。 人によっては不吉な断言と感じてしまうかもしれませんが、私の考えだと、夢というのは、お金の概念から自由になったあとでしか叶わないものであると思います。[…]

お金から自由になった後で夢が実現する

さて、今日の漫画でも、この文脈での「お金」に近しいものを取り上げてみようと思います。今日は「責任」という概念についてです。

社会に参画しているのであれば当然に、我々はひとりひとり、責任を持たされて生きております。社会を正常に機能させるためには、おそらくこの概念はなくてはならないものであり、その存在を否定するべきものではありません。

社会ではね。

しかし、この「責任思考」を個人の人生にも適用していくと、だんだんおかしなことになっていきます。自分で自分を、可能性の狭い方に狭い方にしばって生きていくことにもなりかねません。自分にたいして責任を問い、生きづらくなってしまっている方も散見されますから。

「責任」とはなんなのでしょうか。今一度、原点に立ち返ることで、自分を縛る鎖から自由になってはみませんか。今日の漫画に関しては読むだけで、考え方の方向性が少しだけ変わり、ぐんと生きやすくなる可能性を秘めていると思います。

「新しい責任観の世界へようこそ!」ともいえる、漫画です。どうぞご覧くださいませ。

辛くても辛くても我慢して、昨日より向上した自分になる
理不尽に耐えて、なにくそと粘る。
私は自分の選択に責任をとりたいんだ。だから辛くても悲しくてもがんばるんだ。
この個人の心中においてすら効力を発揮する過度な「責任観」はあらゆる意味で有害だな、と私はよく思う。
たとえば、冒頭の描写でいうと、あなたはその間違った選択に責任を取り続けるのですか。
長い人生、振り返ってみればあの選択はミスだったなぁというのは掃いて捨てるほど出てくるもので

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