さいきん私は、イスラエルによるパレスチナの大量虐殺について、よく見聞きしたりだれかと対話したりする機会が多くあり、自分の頭の中をそのまま話しているVoicyチャンネル「今日を自分のために生きる」でも、そのことを取り上げることがあります。
これとか。
今回この記事では、上記のVoicyを聴いてくださった方からいただいたある方の返答、そしてそこから始まった、読者さんがたとの会話を経て、わたしが思ったことをまとめてみたいと思います。
タイトルは、「戦争を終わらせようとしない。」です。
戦争とか、地球環境問題とか、経済問題とか、われわれ個人が当事者意識をもって考えなければならないとされているトピックって無数にあると思います。
個人が大きなトピックを当事者意識をもって考えなければならないと、されていると思うんです。
しかしわたしは、そう思わないんですね。
個人が大きなタイトルを考えることに時間を割くことは、世の中を平和にするだろうか?と考えてるんです。
自分が目指しているのは、大きなタイトルを目指さないという生き方です。今日はそんな生き方を深堀りして説明したいなと思いました。
まず上記Voicyにきた最初のコメントってこれなんです。

手描き部分は、わたしによる回答です。


そしたら、こちらの読者さんのコメントに対して、違う方から、下記のようなコメントをいただいたんですね。Aさんとします。

わたしはAさんのコメントを取り上げ、さらにVoicyで自分の思ったことを話しました。
今日の本記事の考えの一端は、上記Voicyで聴けるかなと思うし、ことの次第の経緯はけっこうおもしろいので、本音会の方々は、Voicyも聞いてくださったらいいかな~とは思うんですが、今日はこのVoicyに集まった非常に勉強になり、わが身を振り返させられるDMを取り上げ、考えを進めていこうかと思ったのです。
全方位に、振り向けてはいけない言葉があるということ。
紹介するのはこちらのBさんからのDMです。

数年前に不倫されて離婚しまして、今では再婚して傷もすっかり癒えていますが、不倫されるまでの自分がなんで驕った人間だったのだろうと自分の未熟さや人としての至らなさなど省みるとてもとても学びの経験でした。
母との関係にも通じますが、自分の心の中に母を住まわせていたんです。
でも今の大人の自分からすると都合の良い言い分ですが…
自分の悲しさを他人にぶつけて良い、そのために鋭い言葉を選んでも良いという価値観があったのです。
離婚して自分の価値が底辺に落ちたと実感した時に、相手が誰であろうと何をした人であろうと自分のことを好きであろうと、、、意地悪な言葉や汚い言葉やネガティブな気持ちをぶつけていい相手は居ないのだと、それまでの価値観と違う自分に出会いました。
誰に何を言うかは自分で選べるのですよね。
見せたい自分を演出できるというか……
例えば薄毛の男性を
ハゲ親父と表現することも、
ブルース・ウィルスのようなセクシーな男性と表現することも出来る。
それが嘘でないなら99%盛ってるような表現でも良いしどうせなら楽しい気持ちを持って帰ってもらいたいな〜それが今の自分には楽しいな〜というかんじでした。
