あぴちゃんの受験シリーズです。
前回は、こちらの漫画でしたが、今回のはそれの続きです。
わたしは罪深い親です。 わが子あぴちゃんは、もともとはリアルのび太くんでした。 勉強なんかしないし、さぼることばっかり考えているし、遊んでばかりだし、言い訳しかしないし、ショートカットしたい欲で半端ないし、タブレット依存だし、隠れてお菓子を[…]
前回の漫画で読んでいただいたとおり、あぴちゃんは塾の力を借りずに高校受験を独力で乗り越えました。
あぴちゃん的には「なんとなく」の決断の連続で、塾にいかない選択となりましたが、後から振り返ってみるとそれは結構たいへんなことでした。
「けっきょく志望校に合格したのだし、今満足しているのだから、結果善でいいじゃないか」という向きもありますが、結果がよくったって、過程がすごくたいへんだったという事実は消えません。
そのへんのリアルは、Voicyでもお話ししたことがあります。(こちら)
たいへんだったし、悪いこともいっぱいあったけれど、そんな中でよいことをなんとか探してみようとすると、それは、母子でさして喧嘩もせずに基本的にはほのぼのとした雰囲気で、ものすごく大きなことを乗り越えたなぁという感覚を娘と共有していることでしょうか。
少なくともわたしはあの経験をとおして、あぴちゃんのことをとてもよく知ることができました。そして自分のこともよく知ることができたのです。
そしてお互いとの付き合い方がこの上なく濃く学習できた、いい経験でした。
あのころにした会話を、いまだにあぴちゃんは覚えていて「あのときママはこう言った」とかよく言ってきます。
今日の漫画は、「あのときのママ」がベースになっています。
ぜんぜん、応援しなかったんですよね、わたし。
第一志望を目指すことの合理性も強化してやらなかったし、第二志望にいたっては露骨に批判していたし、第一志望の高校じゃなくてむしろ家の近くの高校を選んでほしいとか思っていたし、その思いも隠していませんでした。
これは高校選びだけにとどまる問題じゃなく、今後の人生、あぴちゃんがなにを選んでも、この先、わたし自身の好きな選択じゃなければ「うーん…」という態度を保つと思います。そしてわたし自身の好きな選択を彼女が選んでも、彼女を、そのことがゆえに批判すると思います。
「そんな、子どもの選んだ選択を手放しで応援するわけないじゃん?」
というとても個人的な漫画です。
ひらめきとかなにげない感覚にしたがっておこなった、合理的結果に落ち着くことが確定されない選択にたいして、執着すること。
受験先や就職先の決定などの人生の岐路において、我々は、そのような不可思議な執着力を発揮することを社会から求められます。
「あの高校にぜったい行きたい!!!」「あの職業に就きたい!!!」など。
今の社会の仕組み自体、そのような不可思議な執着力を充分に発動しないと、生きるのが楽だと一般的に思われている上流層にたどりつけないようになっているからです。
でも、わたしは一貫して、「そういう不可思議な執着力はさいしょから身につけない方がいいんじゃないか」と思っているんです。
社会の求める合理性を追求したいなら、その力が必要だけれど、いったん身に着けてしまったその力は、のちに自分だけの合理性にたどりつきたいと思ったときに、邪悪かつ強烈なくもりメガネになります。
詳細は漫画に描いてみました。
あぴちゃんの受験、そのあとのこと。









