賛美歌を渇望するのは、賛美歌により痛みが癒された記憶からきているのですよね。もしそのことに自覚的でなかったら、そして万が一夫が速攻賛美歌を歌い始めてそれに再度癒されたなら私はそれからの人生、賛美歌のトリコになっていたのではないでしょうか…
まぁ、別にそれでもいいのですが日常には意外と人生の分岐点がひそんでいるものです。
賛美歌を渇望するのは、賛美歌により痛みが癒された記憶からきているのですよね。もしそのことに自覚的でなかったら、そして万が一夫が速攻賛美歌を歌い始めてそれに再度癒されたなら私はそれからの人生、賛美歌のトリコになっていたのではないでしょうか…
まぁ、別にそれでもいいのですが日常には意外と人生の分岐点がひそんでいるものです。