










ずっと迷いながら我が子と接している
あぴちゃんを勉強に導いたのはわたしだと思います。
わたしは、ギリギリまでゆるさをつらぬくゆる親であることは間違いないのですが、あぴちゃんの中学入学時から、洗脳系隠れ教育ママに転じました。(詳細は以下の記事で。)
上記の記事にあるとおり、我が子は洗脳がうまくいき、ガリ勉になりました。
我が子がガリ勉になってしまった今、わたしの心は達成感に満ち溢れていません。むしろ、ガリ勉の背中を毎日見て、ある種の「やっちまった感」にさいなまれています。
私自身の価値観や考えのようなものは、今、大きな過渡期にあると感じます。というかむしろ、今までもずっとそうでした。毎瞬毎瞬過渡期にあるような状態です。
だからこの漫画は、ずっと迷いながら娘と接していてたとえ当初の想定どおりの結果が得られたとしても、やはりずっと迷い続けている、という状態をただ描写しているだけの漫画ともいえるでしょう。
もう最近は娘に言っています。
「ママはわからない。もうずっと、迷ってる。」って。
虚業ってなんだろう?
漫画の中で「虚業への一歩を踏み出した我が子」という表現が出てきたと思います。
「虚業」の正確な意味と、ちょっとちがうんじゃないかなと違和感を持たれた方のために解説を付け加えます。
わたしは、自分なりの意味で「虚業」という言葉を使っています。
自分の好きなこと、やりたいこと、魂が突き動かされること。これに基づいた仕事はすべて、わたしなりの意味の「実業」です。
しかし、それらに基づいていず、ただお金や評価を目的にしている仕事はすべて、わたしなりの意味の「虚業」です。
あぴちゃんは、勉強が大嫌いで、学校も嫌い。だけど、彼女はとにかく評価がほしいんです。学力というとても狭く限定的な尺度ではかれる範囲内で、自分の実力を証明することが、とにかく楽しい状態です。
これは、私の中では、明確に虚業への一歩を踏み出していることと同義です。
まぁ、それでいいんです。今、彼女にはそれしかないわけだから。
ただ、そこから入ると、案外抜け出すのはたいへんだよ、とわたしは彼女に伝えています。日々の会話と、ともに過ごす時間の中で。
日々の会話やわたしたちの日常については、Voicyでよく話すことが多いですから、Voicyも継続的に聞いていただけると、きっと暇つぶしくらいにはなるんじゃないかなと思います。