わたしのもとには、頻繁に、というほどでもないのですが、ある程度定期的に届く声がありまして、そのような声に対して、本気で対峙したことは今までなかったのですが、今回それにたいしてちょうどいい漫画を描けましたから、これにて回答の代用とすることにします。
それはどんな声かというと、「世の中が腐っていておかしいから、こんな世の中をこれから自分の子どもに生きさせるのが憂鬱である。」というような声です。
中には、「この社会はおかしいから、ここを生きさせるくらいなら、子どもを産むという選択をしたくない。」という若い方の意見も届くことがあります。まぁ、本質的には上記の声といっしょで、とにかく「自分は社会に対して強い不満があるのだ」という意味なのだと理解しています。
これらの意見に、わたしが何かひとことで言うなら「社会をおかしいと強く思う自分のほうがおかしいんじゃないかな。」というものになりますけど、これだと回答としてあまりに強すぎるし、不要に攻撃的だととられてもおかしくないですから、漫画と文章をとおしてできるだけ柔らかく柔らかくなるように努めて回答していきます。
まずは漫画をごらんください。
ちょっと本題に入るまえに漫画の解説をしていきたいと思います。
この漫画は実際に我が家に起こったことです。あぴちゃんというのはこちらの漫画で描写したとおり、反骨精神たくましい人で、中学校に入学してからすぐは、管理体制の強い学校の校風に対して、常に怒り狂っておりました。
先生方の、発言のひとつひとつが気に障るようで、詳細に覚えておいて、それがいかに傍若無人であるか民主的とは言い難いかを母にひとつひとつ話して聞かせる塩梅でしたから、わたしも自分が義務教育のさなかにあったときのことを思い出し、「中学校って酷い場所なんだなぁ」と改めて思っておりました。
そんな中彼女は、委員会活動に本格的に参加するようになり、朝はやくから登校し、話し合いに参加したり、労働めいたことをしたり、肉体的にも負担を感じていることが親の目から明らかな生活を送るようになりました。
そして彼女もそれらのことを「させられている」という感じで話しておりましたから、それを見て、「形骸化した自主性育成の教育が本当に馬鹿らしいな。」と私は、学校現場で行われている教育に呆れすら感じておりました。
しかし、漫画に描いたとおり、彼女は変わったのでした。
おそらくは学校側のそういううやり方が、彼女にうまくはまったのでしょう。素晴らしい先輩や友達に恵まれたのもあるのでしょう。また、先生たちの前向きな思いがうまい形で彼女に伝わったのもあるのでしょう。さまざまな偶然と奇跡が重なり合い、彼女は驚くほど主体的に委員会活動に取り組むようになりました。
自分たちで協力してなにかをつくっているという一体感と、まがうことなき当事者意識により、家で話す内容や表情なども劇的に良いほうに変わっていきました。彼女の成長は、家での様子だけを見ている私にとっては、はかりしれないほどのものになっていきました。
わたしはその様子を見て驚きました。そして、自分が学校、つまり社会に抱いていた不満や批判は、完全に自分の内的世界を反映したものだったなと思い知ったのでした。
ここから本題に入っていきます。