【あぴママの本音】ほんとの意味での教養を得る方法│あぴママびより
ほんとの意味での教養を得るコツ。

【あぴママの本音】ほんとの意味での教養を得る方法

しがらみや、慣習。通り一辺倒の知識や常識に、それをもとにして誰かを裁きたくなる気持ち。

そういうものからひとつひとつ自由になっていく過程に人生の本質がある。体が軽くなっていく道のりの上に、教養のタネがある。

それをひろって育てよう。自分のために。そして周りの大事な人たちのために。

本日の投稿の対象読者は「教養を深めたい人」としたいところですが、実際は学校が嫌いな(もしくは嫌いだった)人、社会になんとなく違和感を覚えてしまう人、その違和感をもてあまして生きている人も対象です。

「今はつらいかもしれないけれど、きっと救いはあるよ。すこし先にあるよ。」これが裏テーマになっているのもその理由ですが、後者のような方々のほうが、教養に近いところにいるからというのもあります。

20代のとても若い頃、子どもの自殺率が9月に一番上がるという統計を目にして、いたたまれない思いと強い怒りの気持ちを抱いた。
子ども時代、さして学校でのトラブルを抱えてもいなかった私にすら、9月は大変憂鬱な月だった。なんだか救いも出口もないそんな閉塞的な感覚。20代は、まだ生々しく覚えていたからなのだろう。自殺率の高さは、共感もできる自分ごとだった。そして若かった私は、こう結論づけた。
これは、親が悪いな。学校に行く以外の選択肢を親が示してやらないから、子どもたちは、「学校に行けない」から「人生終わり」に容易に飛躍してしまうわけだ。子どもたちがひたすらかわいそうだ。
そして若い頃の早急な結論を、私は入念に自分の子育てに反映させたつもりだ。私にとって子育ての前半期とは、青く早急な結論に根ざした試行錯誤という名の暴走の日々。
まぁだけど、あの頃よりさらに歳をとった自分が今思うのは、若い頃の結論は短絡的だったなということである。つまり私は間違っていたのである。それを話したのが、九月二日のボイシーである。
もう一個若い頃の話を。若い頃の私にとって「自立」というのは大きなテーマだった。おそらく最初の最初は「とにかく母から離れたい」という思いから始まった自立への希求。しかしいつしかこの希求が肥大化してしまい、
「マジで何からも自由でありた」という思いに変化。経済的自立、精神的自立。私の半生はこれに全てがかけられた。もちろん若い私は、女性はフルタイムで働き生活費は自分で作るべきで、子どもも自分で育てるべきものだと思っていた。それが「自立」だと思っていた。
おかげで当時思い描いていた自立は手にしたと思っているが、それは、この固執とこだわりがあったからである。だけど、馬鹿だったと思う。若かった頃の私は馬鹿だった。ふりかえって、そう思う。

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