「もっともっと、シンプルアルゴリズムで生きて行こう。」こういうお話を昨日のブログではやってみました。こちらです→あぴママは毒親の実母に会っていますか?
シンプルアルゴリズムとはなんなのか。そのように生きたらなにが得られるのか。それは、昨日の投稿で見ていただくことにして、今日も毒親についての見解と、すこしだけ、シンプルアルゴリズムの話です。
10月7日朝6時に更新予定のVoicy「どちらかというとサバイバーだけど、母を悪く言うべきじゃないと感じてる」というチャプターで詳しくお話しする予定ですが、私はどうしても母親を悪く言う気にはなれません。そういうことをやることが、自分の過去を負の方向に再構成し、それはやがて今を侵すという感覚があるのに加え、どうしても認知が母を理解しようという方向に傾きます。
これと同じベクトルで、自分が今まで会ってきたどんな悪い人間のことも悪く言うことができません。
それは、そういう人たちのすべてが今のわたしを形作っていることを強く、それはもう強く感じているからです。
すべては彼らのおかげだと、そう感じています。だから否定することができません。
今というのが自分にとっては、強力な磁場をつくっていて、大きすぎるんです。
すべて「今」が起点であり、そこからしかすべてが生まれて行かないと、そういう感覚をもっています。
ものすごく非科学的なことだと理解していますけれど、今というのが強烈にここに存在するからそれにともない、過去や未来が形成される、感覚値では、これにとても近いです。この感覚値を、あらためて漫画にしてみたのが上記の作品です。
これからも強烈な「今」を生き続けたいと願っています。これがわたしのシンプルアルゴリズムの説明のひとつです。昨日の説明は今日のものよりもっともっと、実践的なものになっていると思います。
今日は、ほんとうにたびたびくる質問に答えてまいりたいと思います。 (タイトルで「毒親」としましたが、わたしはあまり毒親という言葉は好きではありません。なんだかお母さんに申し訳なくて。母は一般的に言うとたしかにかなりの毒親だったかもし[…]