【あぴママの本音】いこう。エラい人のいないとこへ。│あぴママびより
いこう。エライ人のいないとこへ。

【あぴママの本音】いこう。エラい人のいないとこへ。

今日のタイトルは、「いこう。エラい人のいないところへ」です。

さいきん、 Voicyのわたしの話にたいして質問してくれた方がいらっしゃって、その質問に答えました。

あらゆる正解を破壊する、わたしの正解を書いてみました。

ぜんぶ破壊したほうが、いいと思うんですよね。

そうしたら、自分を惑わしてくるものは、あまりなくなるはずです。

だいたいのことを、気楽にスルーできるようになると思うんですよね。

ただただ一般的な質問に戸惑うばかりの自分だけは残ってはしまいますが、たとえそうであっても正解の存在は懐疑的に見て、破壊して、再構築して生きた方がいいと思います。

世の中のぜんぶのエラい人の、エラい思想と、哲学と、それに基づいた正解、いちど壊して自分で組みなおしてみませんか。

自分軸って、そういうことをやったあとにしか、生じえないものではないですか?

破壊への一歩の歩み方を漫画にしました。

最近ね、「お腹の子に障害があったらどうするか」っていうことをボイシーで話したら、 「あぴママは妊娠して、出生前診断で我が子に障害があったらどうしますか?」 話の本筋より、少し寄り道したトピック「あぴママ的責任論」の方が好評を博したということがあった。
責任っていう言葉は、その他責思考気味な生き方から「ここから私の仕事ではありません」と線引きしたい人たちが定着させてきた言葉であり概念なの。その言葉を心に内在化させることが人の不幸の始まりだし、争いの始まりなの。そういう悪い概念をベースにするとどうしても人生の判断にブレが出ます。 まぁだいたいこういう感じで言い表したと思う。ここではだいぶ端折っているけれど。
それで、そこに対していろんなフィードバックが来た。 本題とは違うのですが、これを聞いて、私はあぴママの責任に全くとらわれないところに魅力を感じているのかと思いました。子どもの頃から責任感に欠けるといわれていた私が、社会人になってあれもこれもやらなきゃと働いていた時は人生クソつまんなかったです。自分の好きなものすら分からなくなっていました。今は育休中で好き勝手してますが、復帰してからも自分を見失わないよう気をつけて生きていきたいと思いました。 でもそんな中に
それならあぴママは武士道や葉隠についてどのようにとらえるのですか。 という質問が来たのね。私はこの言葉に関心がなかったので質問もらったときはこれらについてしっかり調べなかった。
でも文脈上それらの書物は明らかに、「責任」という概念を中核とし、たいへん重要視されているのだろうと、その時はそのように思った。 だからこそ、その質問の意味がわからなかったのである。
だって、「責任」という概念を無価値とし、本質的にとても悪い言葉であると考えている人間が、「責任」を中核として据えている書物を見てなんと思うのかなんて、もう答えがわかっているだろうになんで聞くのだろうって思ってしまったのね。論理なの。言葉は論理。すべて論理の枠を出ないわけ。
それ、めっちゃ悪い書物ですよ。できるだけ見ない方がいいんじゃない? って、言うに決まってるよね。でもおそらくこの簡単な帰結に思い至らないということは、わたしが感じている意味以上のことがこの質問には含まれているんだと思う。
おそらくなんだけどね、この人はこう思っているはずなんです。 武士道、葉隠は、長らく日本人のスタンダードであた書だから、権威があり価値が裏打ちされているものであり、正解が描かれている理念であり考えでもある。しかしそれと反対のことを言っている人に「正解」との相違について何を感じているのか、問いたい。スタンダードとして裏打ちされていない自らの非正解性には、どのように向きあうのか知りたい。 こんなところなんだろうと思う。
いこう。エライ人のいないとこへ。
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