漫画についたコメントについて家族で話していたらあぴちゃんが面白いことを言ったので漫画にしました。この記事では漫画に加え、表現者と閲覧者の距離について思うことをつらつらと書いてみようかと思います。
さて、読者のみなさんからは「あぴママ」はどう見えているのでしょうね。たぶん、日々届けられるコメントから察するに、インスタでアマチュア育児漫画を投稿している中年女性と思っているのだろうなと思います。(そう思われてもむりはありません。なぜなら私は、育児漫画を投稿している正真正銘の中年女性ですから。)これが他覚的なあぴママ像ですね。
じゃあ自覚的なあぴママ像はどうなっているのでしょうか。漫画を描いているので漫画家と言ってもいいのでしょうし、エッセイを描いてもいるのでエッセイストと言ってもいいのかもしれない。しかし私は自分のことをそうは思いません。どれもピンとこないからです。漫画もエッセイも実のところ私の目的ではないし、漫画家になりたいともエッセイストになりたいとも思ったことはありません。じゃあなんなのか。強いて言うなら私は自分のことを彫刻家志望の人間だと思っています。
言葉にならないもやもやとした概念を言葉によって掘り出し、輪郭をいくぶんかはっきりとさせるのです。そういう仕事を描写する言葉はないので、仮に彫刻家という言葉をあてることにしてみると、他覚的なあぴママ像と自覚的なあぴママ像に大きなギャップがあることがわかります。
他覚的視点→育児漫画を書く中年女性
自覚的視点→彫刻家志望の人間
これだけのギャップがあると、読者とのコメントの交流などの際に距離を感じることがあります。決して不愉快ではありませんが、読者と私との間に横たわる長い長い距離です。今回の漫画はちょっとだけそれについて描写しています。漫画はおいておいてもそのあとに続く文章は、表現者なら共感すると思います。