【本音】自分を受け入れられるようになるのは、他者を受け入れられるようになってから。│あぴママびより
まともな羊の右脳と左脳こそが、この世界のshitな価値観の再生産してんだワ。

【本音】自分を受け入れられるようになるのは、他者を受け入れられるようになってから。

人生相談回「あっちばっかずるいよ、こっちだって愛してよ。」の続きですが、あれを読まなくても大丈夫なように書いてます。

合格した人間だけ受け入れるのを、やめてみる。

矛盾していて、社会的でもなくて、嫌いなあの人を受け入れることができたときにはじめて、自分のことをほんとうの意味で受け入れることができる。

自己受容と他者受容のあいだに境界線などない。

今日の漫画は、こんなところです。

ずっと、不思議に思ってることがある。
人はなぜ、自分をはかるモノサシと他者をはかるモノサシが同じであると信じこんでるんだろう。両者はどう考えても別のものであることは、自分の心をのぞいてみれば一瞬でわかるはずなのに。
たとえば先日のこの人生相談。相談者の、実家に寄生しきっている姉は、弟が親から食材を買ってもらうとこんな発言をするという。 はずかしくないのか?自分で買いな。 「経済的に親に依存しきっているあなたがそれを言うのか。」と、相談者はモヤモヤするという。
姉が、自分以外の外的世界に存在する相手に対してもつ要望と、姉自身の生き方というのは、全く別物である。それはほとんどこの世界の原則。人間が、自分をはかるモノサシと他者をはかるモノサシは全く別のもの。
だから彼女は、自分をまだ実家の中にいる存在として、食費や生活費の援助の対象であると認識しているが、実家から外に出た弟は実家外の存在であり自立すべき者として認識している。「彼女は実家のお金には限りがあるということを少なくとも知ってはいるらしい。ああよかった、素晴らしい。」それが事実に沿った状況認識。
なのにやはり「外的世界への要望が、自分のありようと同じであるべきである」という人々の見方は強い。だからこそ、不要な場所で「なぜ・・・」とモヤモヤと立ち止まる。明らかにそれは思考するべきポイントではないのに。
そもそもこの相談者の文章に対しても、ある人はこう言ったのである。 これだけ姉に対する文句を語るなら自分は完璧で人に言われるような欠点がない人間なんだろうなと思いながら読んでいたら、親のお金を自身が盗んだという情報が出てきてなんか読む気が失せた・・・
これは「自分が完璧な場合にしか他者への文句をつらつらと語るべきではない。」このような観念の現れだが、やはり本質的には、根本的な人間理解への誤謬がある。自分をはかるモノサシと他者をはかるモノサシが一緒でなければ、それは正しくない、という誤謬。
この誤謬に基づいた「自分が完璧な場合にしか他者への文句をつらつらと語るべきではない。」という観念。わたしはこれをどうも、誤りだと感じている。 正解は、「誰でもどんな人間でもそのとき思ったことを好きなように言っていい。」これだと思う。
自分と他者は明らかに違うものであるはずなのに、自分をはかるモノサシと他者をはかるモノサシは一緒であるべきだという矛盾。つまりは、自分と他者の混同。皆、同じ基準に従って動くべきという思想の芽のようなもの。

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